2023年03月05日

転ばぬ先の杖

「勉強しろ」と私もついつい我が子に言ってしまう。
子どもはやりたくない。

まだまだ日本の仕組みが学力を持っている人が優位にいるからと伝えたところでイメージ出来ない。
本人は楽しくない。

これを自分に置き換えて考える。

将来に役に立つからこの本読んだ方がいいよ。
これでは自分は読まない。

健康に良いから身体動かした方がいいよ。
そりゃそうと思いながらも毎日は出来ない。

結局、自分が欲した時に向き合い取り組む。
サッカーを学びたいからサッカーについては勉強する。

そうなんだよな…。

学校、親たちは楽しくないことを無理強いさせて評価と言う日本教育の軸から離れないようにしている。

本当に勉強が大事な時はいつなのか?
偏差値60以上の高校に行った友達と、40くらいの友達に会っても彼らの人間性は互いに違い、社会の仕組みで働いていて不幸ではない。

微分積分はいつ使ったのか…。
高校の数学以外に見たことがない。

勉強を楽しんで取り組みさせる為に、勉強が楽しい背中、イメージ、勉強出来るとどんな未来が待っているのかを見せられるのかが大事な気がする。

サッカーも同じか
指導者、親たちがサッカーを見ないと子ども達も見ない。
指導者が学び続けないと選手に学べと言うのは筋違い。

この相手を倒したい!
倒すために手段を増やしたい!
だから、コーチ教えて!みたいな順序なのかと。

欲していない選手に何か学びを欲したいと思う環境設定が大事である。

転びまくった結果
転ばない方法は何だ?と欲した時に杖なのか…。

転んで大怪我したらどうしたら良いのですか!
死んでしまったら後悔するでしょ!

それは自分も辛いし嫌だ。
杖のタイミング…絶妙に差し伸べたい(^^)
posted by メガネコーチ at 06:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月24日

問題は起こるとまずい?

我が子が通う学校機関が小学校と中学校を一緒に考える一貫性を取り入れると決めた。
理由は中学校に上がった時に環境の変化による子どもの不登校を減らすためである。
6年生までは通えていた学校が中学1年生になると行けなくなる子が増えているとのこと。

なるほど。

また、ある小学校は授業の間の遊ぶ時間を無くした。それも余計なトラブルを回避するのも含まれているとのこと。

なるほど。

指導の現場でも何かあると保護者とのやり取りが多く、保護者が謝る。ん〜〜(^_^;)

毎度、言っていることになってしまうのだが、
子どもに、または相手にでも、
「どうなってもらいたいのか?」
を一番に考えなくてはならないと思っている。

問題に巻き込まれないように生きてもらいたいのか、問題を解決出来るように生きてもらいたいのか。

多様性とあちこちで言われる世の中になり、
その多様性と、どのように共同生活していくのかを練習していく場が学校教育なのでは?と私は思ってしまう。

自分との価値観に合わない子を排除して、パワーある人に従い、気を遣って、問題を起こさないように生活して、本当に自分が大事にしたい価値観も自分で決められず、他人の目(問題にならない)を気にして自分と言う価値観を形成していく。本当にそれで良いのか?

自分の意見を持てと言う教育が、自分の意見を強く持つ子を問題児扱いする。過去にも偉大なるリーダーはマイノリティである。

マスク着用の定義(厚生労働省)が変わってもマスクを外せない世の中。自分で判断することを奪う世の中。その判断、実行を認めず批判の多い世の中。

何が大事かを問うことより、多数派と違うことをすることが問題になる。だから、多数派に従う的な思考が強いのではと思ってしまう。

どの親も、我が子には何があっても自分で解決できる強い人間になってもらいたいのではないだろうか?

強い人間の定義もまた人それぞれだが、今あなたが差し伸ばしてる手助けは子どもを自分で思う強い人間にさせる手助けなのか?と問い続けているだろうか。

小学生や中学生の問題と言われることは、社会に出た時の問題と比べたらどれほどの問題なのか?大した問題では無いと思う。

小さい時から問題に対してどう向き合っていくのかと親子で考えることが良いのではないだろうか。

家族同士でも完全に同じ価値観にならない。他者と対話して、自分と考えが違うことを知り、認め、そして自分はどう考えを持つのかをまとめていくのが成長だと私は思っている。

問題…?トラブル…?

何を問題と捉えるのか?から考えたい。
posted by メガネコーチ at 06:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月13日

認知はサッカーだけでない

誰かに迷惑をかけることは駄目と言う風潮が強すぎる日本
迷惑をかけることは大したことではない
お互い様である。

自分のことは二の次だと判断や決断するのが難しい。

今の子は皆んな良い意味でも悪い意味でも余計なことをしない世間の言う良い子が多い。

先生や大人が言ったことを聞くし守る。
ここで思うのだが、子どもは本当に納得して行動に移っているのかどうか。

常になぜ?どうして?が入っているのか?
お母さんが駄目って言うから…。
先生が良いよって言ったから…。

確認や許可を取ることが悪いと言ってるわけではない。
しかし、自分で考え、どう思うのかをひとまず出した結果に対して聞いたり確認するのが本質かと。

全ての行動が確認ベースだと臨機応変の判断が出来ない。
これはどうしたら良いですか?これは?こんな時は?など無限にでる。

では、それを解決するのは何か。
まず自分で考えることがベース。
自分で納得感を持てたときに出来るのではないだろうか。
それは「理解している」とも取れるが、結局どうなっていたら良いのかを考えられていると行動に軸が出来る。

最悪なことはコレで、そうならなければある意味何とかなると言う、最悪の状況、事を理解するのも良いかと。

そのギリギリの曖昧な状況をどれだけ小さいうちから判断してきたのかが人生においても幸せに近くなると私は考える。

大人になるにつれて納得いかないことが増えて世の中に疑問符がいっぱい出る。しかし、ルールだから、規律、モラルなど自分で納得したわけではない事が決められた世の中で窮屈そうに生きる。

その思考でいくと、世の中のせい、社会のせい、誰かのせいにしていく。
ルールだから、先生が言ったから、お母さんが言ったから、あいつがどうだから、など自分の考えや自分の行動が次に来てしまう。

結局全て自分が行動に移していると言う「自分が主語主体である」ということを見えなくなっている。

それはとても不幸な気がしている。
サッカーもそうだが、結局自分でプレイを決めなくてはならない。
その決断を楽しめる人間になってもらいたい。
その為にサッカーだけで認知、認知と言われるだけでなく、世の中をどう認知するのかを生活習慣にしてもらいたい。

コロナ禍になり早3年が経った
子どもが認知して納得感を持って行動を取っているのだろうか…。

常に世界を大きく捉えたい。
posted by メガネコーチ at 15:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月12日

自分を大切に

嫌われる勇気
決断する覚悟、勇気
メンタルが強い、弱い
色々と言葉が出てくるが、それはつまり何なのか。
どう言う事ですなのか。

ある人に言われ深く考えてなかったが、考えると今はそのような事ではないかと思っている。

「自分を好きでいる」

ナルシストの様に聞こえて恥ずかしさを一瞬覚えたが、噛みしめると結局はそう言う事に繋がる。

自分を好きだから、自分を大切にするから、自分と言う絵が見えてくるし、自分と言う絵を書こうとする。

人の文句や愚痴が多く出てる自分を愛せるのか。
人の目ばかり気にして行動している自分を愛せるのか。
楽しくなく生きている自分を愛せるのか。
そこを見ると行動が変わると思う。

自分のことが大切だから他人を大切にできる。
何かをされたり言われたりする自分がどう思うかを考えることが出来るから、人の気持ちにも向き合える。

自分を大切にするから無茶もしない。
レーサーは逆にビビりだと言うのもそうなのかと思う。
自分を大切にするが故に慎重になる。
危ないのかどうかをちゃんと最後まで判断する。
僕らからするとあり得ない速さで走るがそこに至るまでめちゃくちゃ努力し、自分と向き合っている。
本気で取り組むことで「大丈夫」と言える。
慎重が故に起こす行動なのかと。

メンタルと言う気持ちの話しも同じように思う。
自分を信じることが出来るのは、自分を信じた回数が多いほど強くなれる。
その為に自分の傷つくこともいっぱいしなくてはならない。
失敗や恥ずかしいことを怖がらずにトライしてきたか。
幼少期から小さいトライ、失敗をどれだけ積み上げたかが大事なのではないか。

成功は失敗と表裏一体である。
よく言うに成功するまで続けることだから失敗も過程だと。
決断する覚悟はどこまで本気なのかで決まる。

小さい選択でも決断出来ない子供がいる。
大人が選択させて来なかったのか、選択した子を叱りすぎるのか、自分を信じれず大人、他人の顔色をうかがう。

大人が見守ることが大事であるが、
一番は大人自身が、ちゃんと自分を好きでいることである。
他人の悪口を言ってる人、世間の評判が最優先な人は子供もその背中を見ている。

まずは自分を大切にしたい。
posted by メガネコーチ at 03:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月30日

全ては分からないが前提

バイアス
世の中の見え方も、選手や個人一人一人に対しても見え方を自分都合に解釈している。

その人の行動、世の中の流れなどは全て見え方、解釈は人それぞれ違う。
大事なのは、こっちの瞬間的な見え方で見るのではなく、背景、文脈を意識しなくてはならない。

なぜ、そのプレイを選んだのか。
なぜ、その行動をとったのか。
世の中、社会はどうなっているのか?

そのプレイ、行動を振り返らせたいのなら、やはりコーチングで問を立て、自問自答してもらう環境を用意しないとならない。
こちらの一方的な振り返りは相手を否定しているようになる。
また自分都合の解釈を押し付けているようにもなる。
「本当は…」も自分自身も分からないとなるなら、一緒に突き詰めることが良い。
理想論ではあると思うが、世の中が予想以上に変化をし、大人でさえ判断が難しい世の中である以上、経験者はあくまで自分都合の経験の解釈でしかない。
常に自分自身をブラッシュアップしたい。
指導者は偉くない。学校の先生も間違いだってある。先のことは誰も分からない。
考え方も、大事にすることも変化して構わない。
大事なのは、常に「それでいいのか?」と言う問いを自身で立てられるかどうか。
日々精進
素晴らしい日本語だ。
死ぬまで突き詰めたい
self improvement✨
posted by メガネコーチ at 22:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする