2022年11月12日

自分を大切に

嫌われる勇気
決断する覚悟、勇気
メンタルが強い、弱い
色々と言葉が出てくるが、それはつまり何なのか。
どう言う事ですなのか。

ある人に言われ深く考えてなかったが、考えると今はそのような事ではないかと思っている。

「自分を好きでいる」

ナルシストの様に聞こえて恥ずかしさを一瞬覚えたが、噛みしめると結局はそう言う事に繋がる。

自分を好きだから、自分を大切にするから、自分と言う絵が見えてくるし、自分と言う絵を書こうとする。

人の文句や愚痴が多く出てる自分を愛せるのか。
人の目ばかり気にして行動している自分を愛せるのか。
楽しくなく生きている自分を愛せるのか。
そこを見ると行動が変わると思う。

自分のことが大切だから他人を大切にできる。
何かをされたり言われたりする自分がどう思うかを考えることが出来るから、人の気持ちにも向き合える。

自分を大切にするから無茶もしない。
レーサーは逆にビビりだと言うのもそうなのかと思う。
自分を大切にするが故に慎重になる。
危ないのかどうかをちゃんと最後まで判断する。
僕らからするとあり得ない速さで走るがそこに至るまでめちゃくちゃ努力し、自分と向き合っている。
本気で取り組むことで「大丈夫」と言える。
慎重が故に起こす行動なのかと。

メンタルと言う気持ちの話しも同じように思う。
自分を信じることが出来るのは、自分を信じた回数が多いほど強くなれる。
その為に自分の傷つくこともいっぱいしなくてはならない。
失敗や恥ずかしいことを怖がらずにトライしてきたか。
幼少期から小さいトライ、失敗をどれだけ積み上げたかが大事なのではないか。

成功は失敗と表裏一体である。
よく言うに成功するまで続けることだから失敗も過程だと。
決断する覚悟はどこまで本気なのかで決まる。

小さい選択でも決断出来ない子供がいる。
大人が選択させて来なかったのか、選択した子を叱りすぎるのか、自分を信じれず大人、他人の顔色をうかがう。

大人が見守ることが大事であるが、
一番は大人自身が、ちゃんと自分を好きでいることである。
他人の悪口を言ってる人、世間の評判が最優先な人は子供もその背中を見ている。

まずは自分を大切にしたい。
posted by メガネコーチ at 03:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月30日

全ては分からないが前提

バイアス
世の中の見え方も、選手や個人一人一人に対しても見え方を自分都合に解釈している。

その人の行動、世の中の流れなどは全て見え方、解釈は人それぞれ違う。
大事なのは、こっちの瞬間的な見え方で見るのではなく、背景、文脈を意識しなくてはならない。

なぜ、そのプレイを選んだのか。
なぜ、その行動をとったのか。
世の中、社会はどうなっているのか?

そのプレイ、行動を振り返らせたいのなら、やはりコーチングで問を立て、自問自答してもらう環境を用意しないとならない。
こちらの一方的な振り返りは相手を否定しているようになる。
また自分都合の解釈を押し付けているようにもなる。
「本当は…」も自分自身も分からないとなるなら、一緒に突き詰めることが良い。
理想論ではあると思うが、世の中が予想以上に変化をし、大人でさえ判断が難しい世の中である以上、経験者はあくまで自分都合の経験の解釈でしかない。
常に自分自身をブラッシュアップしたい。
指導者は偉くない。学校の先生も間違いだってある。先のことは誰も分からない。
考え方も、大事にすることも変化して構わない。
大事なのは、常に「それでいいのか?」と言う問いを自身で立てられるかどうか。
日々精進
素晴らしい日本語だ。
死ぬまで突き詰めたい
self improvement✨
posted by メガネコーチ at 22:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月30日

ひとりひとりを分けて待てる環境づくり

大量生産大量消費の資本主義において子供の成長も生産性を求められている。

子供を野菜と例えるなら
いつまでに、これくらいの大きさで、キレイな形で、虫食いなど無い状態に育てないといけない。
お金と言う概念を稼ぐ為に

人間が生きていく上で必要な食料が取れることが目的であるはず。
それが、大量に作っても売れない形、売れない状態の野菜は破棄。
それはどうなのか。

早く、多く、キレイに、作らないと商品にならないから、栄養素を外から入れ、害虫駆除をし、気候をもハウスで操り、無理やり育てる。

本来の野菜のそもそもの状態より、ニンジンとは?
このような形と色と言う絵で書く本当っぽいイメージを生み出し、それをスーパーでキレイな形との物から選ぶ消費者。

何か大事なものが崩れてきている気がする。

そもそもの野菜の持っている実体はどこにあるのか?
自分も本物を見たことない野菜がある。
本来の色や匂い、形も、どれが自然に出来た物なのか知らない。
もはや、どれが本物なのか。本物が正解か不正解と言う議論をしたいのではなく、本物とは?
何もしないで、そのままなった物なのかと思う。だから、自然であれば全て本物と言う見方が出来るかどうか。

農薬や肥料の無い畑で取れた野菜は別格と言う。
形も不揃いだが、野菜の持っている旨味を各々で感じさせる。
時には不格好で苦い味もあるかもしれない。
しかし、それら全てが野菜なのかと思う。

売れる売れないのお金の価値で測るから、どれも同じように作ろうとする。

人間も同じで、学校と言う畑で、勉強や規律と言う農薬を受け、塾や習い事のような肥料を足され、出来上がるのが最低限売れる、稼げる存在価値を育てている人間社会。

その子がどうなりたいのかは全く尊重されていない。管理しやすくする為の教育期間。
その野菜がなりたい形、芽が出る時を待ってくれない。
無理やり芽を出させ、無理やり成長させ、それなりの形にして満足する生産者、大人、世の中。

その育てられ方にも疑問に持たなくなった世間が教育を買いにきている。
口コミを見て習い事を決める。
失敗出来ない。
偏差値高い学校へ。
虫食いはまずい。

虫が近寄らないくらいの強い薬品を人間は口にする。
人間も自然と同じ摂理なはずなのに…。

もっと人間であることの意味を考え、子供と幸せとはどういうことなのかを問い続け生きていけたらなと思う。

子供は純粋である。
大人も理解は出来る。
あとは、世の中にどう移行していくか。

僕らに出来ることは、いかにテコ入れしすぎない畑を作れるかどうか。
良く耕し、成長しやすい環境設定が大事なのかと思う。
あとは、それぞれの芽、意志を待つだけ。

鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥 ^^;
posted by メガネコーチ at 00:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月11日

本当に大事なことは問い続けること

協調性をしっかりと理解したい

学校然り、チーム然り、社会然り、複数の人が集まる組織は協調性を求める。
「協調性は、性格や意見などが異なる周囲の人たちと譲り合いながら調和できる性質や、利害関係が対立する相手と調整しつつ問題を解決しようとする性質を表す言葉です。 仕事においては、意見や立場が異なる利害関係者と適切な関係を構築して協力しながら目的などを達成する能力といえる」ネット引用

目的に向かって互いに調和し解決する。自我を押し殺すとは違う。対話して目的に向かって解決しようと自分は解釈する。

そこで、自分は世の中の現場に違和感を感じる。
自分が何をやりたいのか問うことより、組織の為に何が出来るのか、要領よく応えられるか、そこに評価があり、それを自分の喜びとして行う。
難しいことも、ここで逃げては駄目だ!負けたら駄目なんだ!と言い聞かせ応えることが良しとしてきている。器用に出来る人は重宝され、できない人は苦しそうである。
このどちらの人も、その組織に応えることの先に何があるのか?その先が自分の目的なのであれば良いが、その先に何も思わないのであれば考えなくてはならない。何に頑張っているのだろうか?と。
組織に合わせ、応えることが目的になると応えられないときはとても苦しく、楽しくない。

「皆んな違って皆んな良い」「オンリーワン」だのと言ってる国が組織の中で管理しやすいように仕向けているように思う。

協調性は必要。目的に向かう為に力を合わせる。一人では出来ないことだから組織がありチームがある。好き勝手にやっていいのは自己責任が伴う。組織の中で自分を発揮するとは、自分の強みが何なのかを問い続け、目的に対して自分を発揮することが楽しさに変わると、組織に取っても必要な人になる。

顔色伺って応えてるうちは目的に向かっていない。目的をしっかりと見据え、目的を理解した人はパワーが違う。

評価をするは自分自身である。死ぬまで自問自答。問い続けることが成長である。本当にこれで良いのかどうか…?このままで良いのか…?

まず自分の目的を問いたい。
posted by メガネコーチ at 13:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月11日

選択の自由

マスクの着用について厚生労働省が5月末頃に提示した。
外で会話をしなければ着用しなくて良いと。

世界の国々はもうほとんど外している。韓国はまだかな…。

日本人は周りに迷惑をかけるのが悪いと言う教育が強い。
とても良いことと思う。
教養があり、社会はとても荒れずに住みやすい環境と思う。

しかし、この協調性がなんともサッカーにおいては難しい。
選ぶプレイがある中で、何か周りを気にしながら実行する選手が多く感じる。
それは自分もしかり、代表選手もしかり。

乱さないことが良いこと。

確かにゴールを取るという目的に向かうプレイはどれ?といえばある程度決まる。
しかし、相手もいることなので、そのプレイをより相手にとって困ることを実行したい。
それはミスのリスクもある。

そのミスがチームを大きく困らせる可能性もある。
そんな時は実行できない選手が多い。
世界は「目的のためには実行した方が良い」と言う考えが強いのかもしれない。
ミスのことより、実行するのが前提でうまくいくと目的に到達できると思うから何も気にならないのかもしれない。

だから、ミスのあとも当たり前のようにカバーして守備の目的に徹する。

つまり、目的がしっかりと合って、目的に向かう行動は認められると言うことなのかと思う。

そこで、先ほどのマスクの件に戻るが、日本人の生きる目的は何なのか?
そこが人によって違う。
それはそれで各々あって構わないが、幸せの形や、生きる意味なども周りに合わせているように感じる。

好きなように生きたらいいのに!
しかし、他人に迷惑をかけられない。
確かに迷惑は良くない。
ただ本当に迷惑なのか?
子供にモラルを求めることは良いが、まだ子供だ。
大人だってどうなのか?
利権を行使することはモラルとしてどうなのか?
世の中納得していることばかりか?

戦争だって簡単に起きてしまう世の中で生きなければならない。
自分で自分を守る力を持てば、ある程度生きていける。
もし、それで何かあって死を迎えてもそこまでの人生だったと思うしかない。

誰かのせいにしたって戻りはしない。
だから、今日、今死んでも幸せだったと言えるように生きなくてはならない。

やりたいことを出来ないで生きることが幸せなのか。
本当に何が一番大事なのかを考えて行動をとる。
そんなことを小さいうちから問いたい。

モラル、ルール、確かに大事。
それに捉われて生きることで苦しいのなら、少し緩めれば良い。

ほかに守らない人がいるのを妬むのは自分もそうしたいのに我慢しているように思う。
誰かを批判したり、妬んでも自分の幸せ度は上がるとは到底思えない。

そんな人もいるのかと自分に向き合い、その人を見て自分はどう生きるのかを決めれば良い。
あの人は、あいつは、など他人ばかり見てる場合ではない。

自分はどうなのか。
自分を磨こう。

posted by メガネコーチ at 00:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする