2021年11月29日

サッカーは続く

年末になり、どのカテゴリーも全国大会予選など大一番が繰り広げられている。
勝った選手と負けた選手の違いって何か?

自分は何も変わらないと思っている。
現時点でチームの勝敗がついただけで、次の日にはその結果は過去となり、また試合をする時に勝敗をかけてたたかうだけ。
その戦いは辞めない限り続くと思っている。
もちろんカテゴリーによって中々できなくなる。
歳が上がるにつれて狭い世界になる。
ジュニア、ジュニアユース、ユースの時の結果に一喜一憂する必要はない。
それこそ高校選手権を取ったってプロになれる訳でもない。
またプロになったからサッカー人生安泰でもない。
サッカーが好き、サッカーは楽しい、それだけ。

つまり、人生の1つにサッカーと言う時間があり、その時間をどう活かしてどう生きていくのかが大事である。
サッカーは楽しいゲームである。
辞められないゲームである。
強制、強要されて行うことではない。

結果が出るから楽しいとなると結果が出ない時に辞めてしまう。
結果が価値となると、結果に対して全て誰かのせい、環境のせいにしてしまう。
今の結果を踏まえて、自分はどうなりたいのかを問うことが本当の楽しいに繋がるのではないだろうか。
自分を磨くプロセス(過程)が楽しい。
人生は死ぬまで自分を磨くこと。

しかし、磨いた結果が目的になりすぎると意味などを考えだす。
その時間が無駄だったのではないかと。
となると、人生そのものの意味すら考えなくてはならない。
それがまさに道であると自分は思う。

人は何のために生きているのか。
長生きが目的なのか。金持ちが目的なのか。
サッカーで結果を出すことが目的なのか。
幸せって何なのか。

コロナ禍により、全員マスクして、黙食を強いられ、ワクチンパスポートまで持たされ、みんな右向け右の社会になりつつ、何で人は生きているのか。
サッカーは手段を習い、自分で選べるスポーツ。
自分で選ぶから楽しい。

今の世の中が選べない世界になっている。
いや、選べるはずなのに、選ぶことを悪としている教育や環境がある。
知識が大量に入ることから、その知識をどう使うのかが問われるはずなのに使い方さえも強いられる。

幸せを自分で探して、自分が選べる時こそ「生きている」と自分は思う。
サッカーを通じて人生をも語りたい。
posted by メガネコーチ at 13:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月15日

サッカーはゲーム

ついニヤけてしまう選手がいる
その選手は試合をとても楽しんでいる。
終わったらいつも汗だくで息を切らしている。

後ろのポジションの時は必死に守り仲間のカバーリングや相手のシュートをブロックしたり、スライディングしたりとこちらが伝えなくても勝手に行う。
転ばされてもすぐに立ち上がりボールを追いかける。

前のポジションの時は前線で裏取りし、相手ボールならチェイシングする。
シュートを外せば「あー!」と言って悔しがる。
それでまたボールを要求する。

「無我夢中」

彼は指導者や親のためにプレーをしていない。
評価を求めてもいない。
僕ら指導者が伝えたことは全て手段であって目的ではない。
サッカーは相手より1点多く取ったら勝ちになる。
それを彼は遂行している。

相手を観てパス、ドリブル、の判断をする。
観れてない時のゴール前はクリアをもする。(ボールを捨てるようなことはミスとされる日本)
点を取られたくはない!の気持ちが彼を動かす。
もちろん観れた時は繋ぐ、それも点を取る為の手段だから。

彼に気付かされたのは試合は彼らのものである。
練習で獲得したものは全て手段である。
その手段の何を選ぶのも彼らのもの。
彼らが選べるようにするのが練習と僕ら指導者。

評価を目的とする選手はどこか言い訳やカッコつけたりする。
倒されてファールがあったと自分で宥めゆっくり立つ(ファールではない)
ゲーム性を理解していれば勝手に次のプレーに向かう。
そのゲームを勝ちたいからすぐに起き上がる、走り続ける。
点を決めたいから裏に走り要求する。
「裏に走れ!」と言われることではない。

そんなサッカー少年がいることに感謝している。
そんなサッカー少年が少なくなっているように感じるのは僕達が原因かもしれない。
彼らへのアプローチはいつしか評価や、失敗を怖がる選手になっているかもしれない。
保護者も家庭で子供たちに選ばせる機会を増やして、失敗を沢山させて、見守ってあげて欲しい。
決断できる子供を多く育てたいと改めて強く思った。
posted by メガネコーチ at 09:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月04日

チャレンジとは一か八かではない

「ナイスチャレンジ!」
「チャレンジしろ!」
よく聞く言葉だ。
指導者はその選手のチャレンジはどうだったのかを見極めることが大事である。
選手が何を見てプレーを決めたのかを見ないといけない。

一見上手くいったプレーも選手は最初からプレーを決めていて実行した結果上手くいった場合がある。
逆に同じようなプレーもミスをする時がある。

他に選択肢が無かったか?と問えば理解はして、次はその選択肢を選ぶ。
その選択肢を選んだ結果も上手くいった時とミスの時がある。
その比率が低い選手は選択肢はあるが判断する基準がないと思われる。

何を見て判断するのか。

よく「判断しろ!」と言うワードが飛び交うが判断は選ぶものがあることと、選ぶ基準がないと判断は出来ない。
大きく言えば原理原則である。
ただ、サッカーの原理原則と説いてもゴールを目指すことしか子供からは出ない。
なのでゴールを目指すのに何が良い選択だったのかを理解させることが大事になる。

どの判断が有効なのか?

そんなことを強く求めるとサッカーには正解があるような感じさえする。
サッカーに正解はない
よくそんな話がでる中である程度の正解はあるのかとも私は思っている。
正解があるから子供もテストみたいで硬くなるし、自信がない子もでてくる。
勉強みたいにしたくはないが最低限は必要。
その加減が難しい。

指導者は子供が正解を見つける過程をサポートしたい。
どこでつまづいているのか。
何が上手くいってないのか。

チャレンジしろ!の言葉を深く捉えたい。

posted by メガネコーチ at 11:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする