経験:人間が外界との相互作用の過程を意識化し自分のものとすること。人間のあらゆる個人的・社会的実践を含むが、人間が外界を変革するとともに自己自身を変化させる活動が基本的なもの。(広辞苑引用)
補足
@外的あるいは内的な現実との直接的接触
A認識として未だに組織化されていない、事実の直接的把握
B何事かに直接ぶつかる場合、それが何らかの意味で自己を豊かにするという意味を含むこと
C何事かに直接ぶつかり、そこから技能・知識を得ること
経験となるのは、本人が意識して「事」を掴みに行った時に積むもの自分は思っている。
ある箱の中に入れとけば経験すると言うのは何か違和感を感じる。
箱の中を自ら認識して入っていることで箱の中に何も無くても、それを経験したことにはなる。
箱の中に何かあっても、自ら認識しなければ経験したことにはならないと考える。
しかし、認識したかどうかは人それぞれなので、いつ認識したかも分からない。
これが成長と捉える難しいときであると自分は思っている。
つまり、箱の中に入り続けることで、何かあるかないかを認識するまで待つことで、その時に初めて経験になる。
それが子供から大人になる時かもしれない。
それを自分も含めて指導者や教師、保護者、世の中は待てないのかもしれない。
経験をさせないとと言って色々と小さい頃から色々な箱に入れる。
自分も同じで、色々な箱を用意して、子供たちが自ら認識できるようにと工夫する。
まさに我慢である。
子供たちは認識する力が人それぞれなのである。
足が速い遅い、背が大きい小さいと同じで、認識ができるできないがある。
サッカーは出場人数が限られている。
そこに溢れたとしても悪いことではない。
箱の中を認識するまで慌てず待ち続けたいと思っている。