マスクの着用について厚生労働省が5月末頃に提示した。
外で会話をしなければ着用しなくて良いと。
世界の国々はもうほとんど外している。韓国はまだかな…。
日本人は周りに迷惑をかけるのが悪いと言う教育が強い。
とても良いことと思う。
教養があり、社会はとても荒れずに住みやすい環境と思う。
しかし、この協調性がなんともサッカーにおいては難しい。
選ぶプレイがある中で、何か周りを気にしながら実行する選手が多く感じる。
それは自分もしかり、代表選手もしかり。
乱さないことが良いこと。
確かにゴールを取るという目的に向かうプレイはどれ?といえばある程度決まる。
しかし、相手もいることなので、そのプレイをより相手にとって困ることを実行したい。
それはミスのリスクもある。
そのミスがチームを大きく困らせる可能性もある。
そんな時は実行できない選手が多い。
世界は「目的のためには実行した方が良い」と言う考えが強いのかもしれない。
ミスのことより、実行するのが前提でうまくいくと目的に到達できると思うから何も気にならないのかもしれない。
だから、ミスのあとも当たり前のようにカバーして守備の目的に徹する。
つまり、目的がしっかりと合って、目的に向かう行動は認められると言うことなのかと思う。
そこで、先ほどのマスクの件に戻るが、日本人の生きる目的は何なのか?
そこが人によって違う。
それはそれで各々あって構わないが、幸せの形や、生きる意味なども周りに合わせているように感じる。
好きなように生きたらいいのに!
しかし、他人に迷惑をかけられない。
確かに迷惑は良くない。
ただ本当に迷惑なのか?
子供にモラルを求めることは良いが、まだ子供だ。
大人だってどうなのか?
利権を行使することはモラルとしてどうなのか?
世の中納得していることばかりか?
戦争だって簡単に起きてしまう世の中で生きなければならない。
自分で自分を守る力を持てば、ある程度生きていける。
もし、それで何かあって死を迎えてもそこまでの人生だったと思うしかない。
誰かのせいにしたって戻りはしない。
だから、今日、今死んでも幸せだったと言えるように生きなくてはならない。
やりたいことを出来ないで生きることが幸せなのか。
本当に何が一番大事なのかを考えて行動をとる。
そんなことを小さいうちから問いたい。
モラル、ルール、確かに大事。
それに捉われて生きることで苦しいのなら、少し緩めれば良い。
ほかに守らない人がいるのを妬むのは自分もそうしたいのに我慢しているように思う。
誰かを批判したり、妬んでも自分の幸せ度は上がるとは到底思えない。
そんな人もいるのかと自分に向き合い、その人を見て自分はどう生きるのかを決めれば良い。
あの人は、あいつは、など他人ばかり見てる場合ではない。
自分はどうなのか。
自分を磨こう。