2022年08月30日

ひとりひとりを分けて待てる環境づくり

大量生産大量消費の資本主義において子供の成長も生産性を求められている。

子供を野菜と例えるなら
いつまでに、これくらいの大きさで、キレイな形で、虫食いなど無い状態に育てないといけない。
お金と言う概念を稼ぐ為に

人間が生きていく上で必要な食料が取れることが目的であるはず。
それが、大量に作っても売れない形、売れない状態の野菜は破棄。
それはどうなのか。

早く、多く、キレイに、作らないと商品にならないから、栄養素を外から入れ、害虫駆除をし、気候をもハウスで操り、無理やり育てる。

本来の野菜のそもそもの状態より、ニンジンとは?
このような形と色と言う絵で書く本当っぽいイメージを生み出し、それをスーパーでキレイな形との物から選ぶ消費者。

何か大事なものが崩れてきている気がする。

そもそもの野菜の持っている実体はどこにあるのか?
自分も本物を見たことない野菜がある。
本来の色や匂い、形も、どれが自然に出来た物なのか知らない。
もはや、どれが本物なのか。本物が正解か不正解と言う議論をしたいのではなく、本物とは?
何もしないで、そのままなった物なのかと思う。だから、自然であれば全て本物と言う見方が出来るかどうか。

農薬や肥料の無い畑で取れた野菜は別格と言う。
形も不揃いだが、野菜の持っている旨味を各々で感じさせる。
時には不格好で苦い味もあるかもしれない。
しかし、それら全てが野菜なのかと思う。

売れる売れないのお金の価値で測るから、どれも同じように作ろうとする。

人間も同じで、学校と言う畑で、勉強や規律と言う農薬を受け、塾や習い事のような肥料を足され、出来上がるのが最低限売れる、稼げる存在価値を育てている人間社会。

その子がどうなりたいのかは全く尊重されていない。管理しやすくする為の教育期間。
その野菜がなりたい形、芽が出る時を待ってくれない。
無理やり芽を出させ、無理やり成長させ、それなりの形にして満足する生産者、大人、世の中。

その育てられ方にも疑問に持たなくなった世間が教育を買いにきている。
口コミを見て習い事を決める。
失敗出来ない。
偏差値高い学校へ。
虫食いはまずい。

虫が近寄らないくらいの強い薬品を人間は口にする。
人間も自然と同じ摂理なはずなのに…。

もっと人間であることの意味を考え、子供と幸せとはどういうことなのかを問い続け生きていけたらなと思う。

子供は純粋である。
大人も理解は出来る。
あとは、世の中にどう移行していくか。

僕らに出来ることは、いかにテコ入れしすぎない畑を作れるかどうか。
良く耕し、成長しやすい環境設定が大事なのかと思う。
あとは、それぞれの芽、意志を待つだけ。

鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥 ^^;
posted by メガネコーチ at 00:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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