「勉強しろ」と私もついつい我が子に言ってしまう。
子どもはやりたくない。
まだまだ日本の仕組みが学力を持っている人が優位にいるからと伝えたところでイメージ出来ない。
本人は楽しくない。
これを自分に置き換えて考える。
将来に役に立つからこの本読んだ方がいいよ。
これでは自分は読まない。
健康に良いから身体動かした方がいいよ。
そりゃそうと思いながらも毎日は出来ない。
結局、自分が欲した時に向き合い取り組む。
サッカーを学びたいからサッカーについては勉強する。
そうなんだよな…。
学校、親たちは楽しくないことを無理強いさせて評価と言う日本教育の軸から離れないようにしている。
本当に勉強が大事な時はいつなのか?
偏差値60以上の高校に行った友達と、40くらいの友達に会っても彼らの人間性は互いに違い、社会の仕組みで働いていて不幸ではない。
微分積分はいつ使ったのか…。
高校の数学以外に見たことがない。
勉強を楽しんで取り組みさせる為に、勉強が楽しい背中、イメージ、勉強出来るとどんな未来が待っているのかを見せられるのかが大事な気がする。
サッカーも同じか
指導者、親たちがサッカーを見ないと子ども達も見ない。
指導者が学び続けないと選手に学べと言うのは筋違い。
この相手を倒したい!
倒すために手段を増やしたい!
だから、コーチ教えて!みたいな順序なのかと。
欲していない選手に何か学びを欲したいと思う環境設定が大事である。
転びまくった結果
転ばない方法は何だ?と欲した時に杖なのか…。
転んで大怪我したらどうしたら良いのですか!
死んでしまったら後悔するでしょ!
それは自分も辛いし嫌だ。
杖のタイミング…絶妙に差し伸べたい(^^)