改めて見返す気持ちは今も変わらず。
この思いもち続けたい。
評価:価値を判じ定めること
人に言われたことができる、言われたことを行うと褒められるし、評価を得る。
できなかったことができるようになると褒められるし、評価を得る。
サッカーで「コーチに褒められた!」は果たして評価なのか・・・
確かに、褒められれば誰もが素直に嬉しい。
ただ、本当は褒められた理由が分かることが嬉しいのではないか。
褒められたことより、褒められた理由を理解することが一番大事なのではないか。
サッカーとは、相手より1点でも多く得点をし勝敗を決めるスポーツである。
パスを100本回しても、ドリブルで3人抜けても、ミスを何回しても勝敗には関係ない。
コーチに褒められても、褒められなくても、怒られても、怒られなくても、
サッカーにおいてはあまり関係ない。
サッカー。自分のゴールを守りながら、ボールを奪い、相手のゴールを目指すと言う目的から考えて自分が行動、プレーを選択し、それがどうだったか分析する。
コーチの言っていることが一つの答えではない。一つの正解ではない。
自分がプレーし選択したことがどうだったのか。
コーチが褒めたのなら、なぜ褒められたのか分からないと意味がない。
コーチが怒っているなら、なぜ怒っているのか分からないと意味がない。
褒められた=やった!! 怒られた(注意された)=ダメだ・・・
こんな考えならサッカーをやめた方が良い。
同じ状況がなかなか無いサッカーで周りの状況において判断しなくてはならない。
こうだから、こうと言うような正解、答えはサッカーにない。
結果、失敗だった、得点できなかった、負けた。
そこで考えるのである。
コーチに褒められたことをやったのに負けた。
これでは意味がない。サッカーが好きなのはサッカーしたいから。勝ちたいから。
褒められることが目的ならサッカーで無い方が良い。
サッカーは生き物だ。
こちらもどうなるかなど分からない。
分からないから面白い。
分からないものを可能性を高め、少しづつ分かる(勝てる)ようになったら面白い。
勝っていても考える。
褒められても考える。
より勝てる可能性を上げる方法はないだろうかと。
負けたくなかったら練習するはずだ。
技術がないなら練習するはずだ。
コーチに言われたから練習する・・・
努力を認めてもらいたい・・・
努力が評価だ・・・
誰の為にやっているのだ。
自分の為にやってくれ。自分の為に生きてくれ。
そこで、試合に出る、出ないも大事になるが、出れない理由を考えろ。
出れた理由を突き詰めろ。
出れないからダメじゃない。
まだまだ勝ちに向けての理解が質(技術)が低いのだと思えばよい。
出ている奴も常に勝ちにむけて考えるのだから
途中から出る。他の奴よりできることが少ない。
それで構わない。その中でお前は何ができるのか。
お前の何が勝ちに向けた行動なのか本気で考えられればそれはどんな選手でも戦力だ。
その機会を与えてもらえないのなら、まだまだこちらが思っている以上に考え方が低いはず。
己にベクトルを向け、己を受け入れろ・・・
と、日々願い思っている。