本当に考えて置いているのかと問い詰めてしまうくらい適当に置いているように思える時がある。
もちろん、最初から要領良くできる子はまれであろう。
もちろん、自分も親や友達と数をこなして成長したと思っている。
何が言いたいのかと言うと
判断の基準や条件を自分で考えて決断実行の訓練をする機会があるのかどうかに疑問を持った。
時代のせいにすると言い訳じみている
その時代のおかげで暮らしも楽になっているのは確かである。
しかし、何かと楽に出来るような環境が用意されている。楽と言うのは考えなくても良いと言うことで、危険なことも危険なことと感じさせないくらいマネージメントされている。
危険なことも世間や色々な目があるから、ほとんどの人は「やらない・動かない」を選ぶ。
動かなければリスクもない。
僕が良く例に出すのは道路を1人で渡ることが出来るのかどうか。
道路を渡るのに、渡れると思う条件があると思っている。
@青信号なら渡れる。(青でも間違いで車が来ることもあると言う「かもしれない」がアラートな予測と準備)
A赤信号でも車が無ければ渡れる。
B赤信号で車が走っていても、1つ前の信号が赤で両車線とも止まっていれば渡れる。
このように少しづつ状況を複雑にしていき、渡れるのかどうかを問うことがサッカーにおいては特に大事なのではないかと思っている。
考えることが面倒な人は動かないと同じで青信号でしか渡らないと決める。
それは人として、社会人としては良いかもしれないが、その判断決断は人が用意した条件である。
青信号でも車が来てしまうこともある。その来てしまう可能性があるのかどうかも状況判断なのかなと。
その判断をしないと外に言い訳や原因を求めて自分の判断の成長が全くないように思えてしまう。
手っ取り早く判断の練習はゲームである。
五目並べや詰め将棋は段々と複雑になり、勝つための条件を自分で見つけなくてはならない。
この回数を増やすと同じようなパターンが見えたり、応用して解決したり出来るようになる。
サッカーも同じでゴールを取るためにどうなっていたいのかは世界共通な気がしている。
そうなるために何を考えるのか。何を見られると良いのか。
そんなことを小学生からアプローチがないと、結局何をしたら僕は良いのですか?と聞いてくる選手になってしまう。
ご家庭も含めて判断決断実行の場を!