2023年01月24日

問題は起こるとまずい?

我が子が通う学校機関が小学校と中学校を一緒に考える一貫性を取り入れると決めた。
理由は中学校に上がった時に環境の変化による子どもの不登校を減らすためである。
6年生までは通えてた学校が中学1年生になると行けなくなる子が増えているとのこと。

なるほど。

また、ある小学校は授業の間の遊ぶ時間を無くした学校があり、それも余計なトラブルを回避するのも含まれているとのこと。

なるほど。

指導の現場でも何かあると保護者とのやり取りが多く、保護者が謝る。ん〜〜(^_^;)

毎度言ってることになってしまうが、
子どもに、または相手にでも、
「どうなってもらいたいのか?」
を一番に考えなくてはならないと思っている。

問題に巻き込まれないように生きさせるのか、
問題を解決出来るように生きさせるのか。

多様性とあちこちで言われる世の中
その多様性とどう共同生活していくのかを練習していく場が学校教育なのでは?と私は思ってしまう。

自分との価値観に合わない子を排除して、パワーある人に従い、気を遣って、問題を起こさないように生活して、本当に自分が大事にしたい価値観も自分で決められず、他人の目(問題にならない)を気にして自分と言う価値観を形成していく。本当にそれで良いのか?

自分の意見を持てと言う教育が、自分の意見を強く持つ子を問題児扱いする。過去にも偉大なるリーダーはマイノリティである。

マスク着用の定義(厚生労働省)が変わってもマスクを外せない世の中。自分で判断することを奪う世の中。その判断、実行を認めず批判の多い世の中。

何が大事かを問うことより、多数派と違うことをすることが問題になるから多数派に従う的な思考が強いのではと思ってしまう。

どの親も、我が子には何があっても自分で解決できる強い人間になってもらいたいのではないだろうか?

強い人間の定義もまた人それぞれだが、今あなたが差し伸ばしてる手助けは子どもを自分で思う強い人間にさせる手助けなのか?と問い続けているだろうか。

小学生や中学生の問題と言われるのは社会に出た時の問題と比べたら大した問題では無いと思う。

小さい時から問題に対してどう向き合っていくのかと親子で考えることが良いのではないだろうか。

家族でも他者と完全に同じ価値観にならない。他者と対話して、自分と考えが違うことを知り、認め、そして自分はどう考えを持つのかをまとめていくのが成長だと私は思っている。

問題…?トラブル…?

何を問題と捉えるのか?から考えたい。
posted by メガネコーチ at 06:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月13日

認知はサッカーだけでない

誰かに迷惑をかけることは駄目と言う風潮が強すぎる日本
迷惑をかけることは大したことではない
お互い様である。

自分のことは二の次だと判断や決断するのが難しい。

今の子は皆んないい意味でも悪い意味でも余計なことをしない世間の言う良い子が多い。

先生や大人が言ったことを聞くし守る。
ここで思うのだが、子どもは本当に納得して行動に移っているのかどうか。

常になぜ?どうして?が入っているか。
お母さんが駄目って言うから。
先生が良いよって言ったから…。

確認や許可を取ることが悪いと言ってるわけではない。
しかし、自分で考えどう思うのかをひとまず出した結果に対して聞いたり確認するのが本質かと。

全ての行動が確認ベースだと臨機応変の判断が出来ない。
これはどうしたら良いですか?これは?こんな時は?など無限にでる。

では、それを解決するのは何か。
まず自分で考えることがベース。
自分で納得感を持てたときに出来るのではないだろうか。
理解とも取れるが、結局どうなっていたら良いのかを考えられていると行動に軸が出来る。

最悪なことはこれで、そうならなければある意味何とかなると言う、最悪の状況、事を理解するのも良いかと。

そのギリギリの曖昧な状況をどれだけ小さいうちから判断してきたのかが人生においても幸せに近くなると私は考える。

大人になるにつれて納得いかないことが増えて世の中に疑問符がいっぱい出る。しかし、ルールだから、規律など自分で納得したわけではない事が決められた世の中で窮屈そうに生きる。

その思考でいくと、世の中のせい、社会のせい、誰かのせいにしていく。
ルールだから、先生が言ったから、お母さんが言ったから、あいつがどうだから、など自分の考え行動が次に来てしまう。

結局全て自分が行動に移していると言う自分が主語主体であることを見えなくなっている。

それはとても不幸な気がしている。
サッカーもそうだが、結局自分でプレイを決めなくてはならない。
その決断を楽しめる人間になってもらいたい。
その為にサッカーだけで認知、認知と言われるだけでなく、世の中をどう認知するのかを生活習慣にしてもらいたい。

コロナ禍になり早3年が経った
子どもが認知して納得感を持って行動を取っているのだろうか…。

常に世界を大きく捉えたい。
posted by メガネコーチ at 15:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月12日

自分を大切に

嫌われる勇気
決断する覚悟、勇気
メンタルが強い、弱い
色々と言葉が出てくるが、それはつまり何なのか。
どう言う事ですなのか。

ある人に言われ深く考えてなかったが、考えると今はそのような事ではないかと思っている。

「自分を好きでいる」

ナルシストの様に聞こえて恥ずかしさを一瞬覚えたが、噛みしめると結局はそう言う事に繋がる。

自分を好きだから、自分を大切にするから、自分と言う絵が見えてくるし、自分と言う絵を書こうとする。

人の文句や愚痴が多く出てる自分を愛せるのか。
人の目ばかり気にして行動している自分を愛せるのか。
楽しくなく生きている自分を愛せるのか。
そこを見ると行動が変わると思う。

自分のことが大切だから他人を大切にできる。
何かをされたり言われたりする自分がどう思うかを考えることが出来るから、人の気持ちにも向き合える。

自分を大切にするから無茶もしない。
レーサーは逆にビビりだと言うのもそうなのかと思う。
自分を大切にするが故に慎重になる。
危ないのかどうかをちゃんと最後まで判断する。
僕らからするとあり得ない速さで走るがそこに至るまでめちゃくちゃ努力し、自分と向き合っている。
本気で取り組むことで「大丈夫」と言える。
慎重が故に起こす行動なのかと。

メンタルと言う気持ちの話しも同じように思う。
自分を信じることが出来るのは、自分を信じた回数が多いほど強くなれる。
その為に自分の傷つくこともいっぱいしなくてはならない。
失敗や恥ずかしいことを怖がらずにトライしてきたか。
幼少期から小さいトライ、失敗をどれだけ積み上げたかが大事なのではないか。

成功は失敗と表裏一体である。
よく言うに成功するまで続けることだから失敗も過程だと。
決断する覚悟はどこまで本気なのかで決まる。

小さい選択でも決断出来ない子供がいる。
大人が選択させて来なかったのか、選択した子を叱りすぎるのか、自分を信じれず大人、他人の顔色をうかがう。

大人が見守ることが大事であるが、
一番は大人自身が、ちゃんと自分を好きでいることである。
他人の悪口を言ってる人、世間の評判が最優先な人は子供もその背中を見ている。

まずは自分を大切にしたい。
posted by メガネコーチ at 03:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月30日

全ては分からないが前提

バイアス
世の中の見え方も、選手や個人一人一人に対しても見え方を自分都合に解釈している。

その人の行動、世の中の流れなどは全て見え方、解釈は人それぞれ違う。
大事なのは、こっちの瞬間的な見え方で見るのではなく、背景、文脈を意識しなくてはならない。

なぜ、そのプレイを選んだのか。
なぜ、その行動をとったのか。
世の中、社会はどうなっているのか?

そのプレイ、行動を振り返らせたいのなら、やはりコーチングで問を立て、自問自答してもらう環境を用意しないとならない。
こちらの一方的な振り返りは相手を否定しているようになる。
また自分都合の解釈を押し付けているようにもなる。
「本当は…」も自分自身も分からないとなるなら、一緒に突き詰めることが良い。
理想論ではあると思うが、世の中が予想以上に変化をし、大人でさえ判断が難しい世の中である以上、経験者はあくまで自分都合の経験の解釈でしかない。
常に自分自身をブラッシュアップしたい。
指導者は偉くない。学校の先生も間違いだってある。先のことは誰も分からない。
考え方も、大事にすることも変化して構わない。
大事なのは、常に「それでいいのか?」と言う問いを自身で立てられるかどうか。
日々精進
素晴らしい日本語だ。
死ぬまで突き詰めたい
self improvement✨
posted by メガネコーチ at 22:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月30日

ひとりひとりを分けて待てる環境づくり

大量生産大量消費の資本主義において子供の成長も生産性を求められている。

子供を野菜と例えるなら
いつまでに、これくらいの大きさで、キレイな形で、虫食いなど無い状態に育てないといけない。
お金と言う概念を稼ぐ為に

人間が生きていく上で必要な食料が取れることが目的であるはず。
それが、大量に作っても売れない形、売れない状態の野菜は破棄。
それはどうなのか。

早く、多く、キレイに、作らないと商品にならないから、栄養素を外から入れ、害虫駆除をし、気候をもハウスで操り、無理やり育てる。

本来の野菜のそもそもの状態より、ニンジンとは?
このような形と色と言う絵で書く本当っぽいイメージを生み出し、それをスーパーでキレイな形との物から選ぶ消費者。

何か大事なものが崩れてきている気がする。

そもそもの野菜の持っている実体はどこにあるのか?
自分も本物を見たことない野菜がある。
本来の色や匂い、形も、どれが自然に出来た物なのか知らない。
もはや、どれが本物なのか。本物が正解か不正解と言う議論をしたいのではなく、本物とは?
何もしないで、そのままなった物なのかと思う。だから、自然であれば全て本物と言う見方が出来るかどうか。

農薬や肥料の無い畑で取れた野菜は別格と言う。
形も不揃いだが、野菜の持っている旨味を各々で感じさせる。
時には不格好で苦い味もあるかもしれない。
しかし、それら全てが野菜なのかと思う。

売れる売れないのお金の価値で測るから、どれも同じように作ろうとする。

人間も同じで、学校と言う畑で、勉強や規律と言う農薬を受け、塾や習い事のような肥料を足され、出来上がるのが最低限売れる、稼げる存在価値を育てている人間社会。

その子がどうなりたいのかは全く尊重されていない。管理しやすくする為の教育期間。
その野菜がなりたい形、芽が出る時を待ってくれない。
無理やり芽を出させ、無理やり成長させ、それなりの形にして満足する生産者、大人、世の中。

その育てられ方にも疑問に持たなくなった世間が教育を買いにきている。
口コミを見て習い事を決める。
失敗出来ない。
偏差値高い学校へ。
虫食いはまずい。

虫が近寄らないくらいの強い薬品を人間は口にする。
人間も自然と同じ摂理なはずなのに…。

もっと人間であることの意味を考え、子供と幸せとはどういうことなのかを問い続け生きていけたらなと思う。

子供は純粋である。
大人も理解は出来る。
あとは、世の中にどう移行していくか。

僕らに出来ることは、いかにテコ入れしすぎない畑を作れるかどうか。
良く耕し、成長しやすい環境設定が大事なのかと思う。
あとは、それぞれの芽、意志を待つだけ。

鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥 ^^;
posted by メガネコーチ at 00:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする