2022年07月11日

本当に大事なことは問い続けること

協調性をしっかりと理解したい

学校然り、チーム然り、社会然り、複数の人が集まる組織は協調性を求める。
「協調性は、性格や意見などが異なる周囲の人たちと譲り合いながら調和できる性質や、利害関係が対立する相手と調整しつつ問題を解決しようとする性質を表す言葉です。 仕事においては、意見や立場が異なる利害関係者と適切な関係を構築して協力しながら目的などを達成する能力といえる」ネット引用

目的に向かって互いに調和し解決する。自我を押し殺すとは違う。対話して目的に向かって解決しようと自分は解釈する。

そこで、自分は世の中の現場に違和感を感じる。
自分が何をやりたいのか問うことより、組織の為に何が出来るのか、要領よく応えられるか、そこに評価があり、それを自分の喜びとして行う。
難しいことも、ここで逃げては駄目だ!負けたら駄目なんだ!と言い聞かせ応えることが良しとしてきている。器用に出来る人は重宝され、できない人は苦しそうである。
このどちらの人も、その組織に応えることの先に何があるのか?その先が自分の目的なのであれば良いが、その先に何も思わないのであれば考えなくてはならない。何に頑張っているのだろうか?と。
組織に合わせ、応えることが目的になると応えられないときはとても苦しく、楽しくない。

「皆んな違って皆んな良い」「オンリーワン」だのと言ってる国が組織の中で管理しやすいように仕向けているように思う。

協調性は必要。目的に向かう為に力を合わせる。一人では出来ないことだから組織がありチームがある。好き勝手にやっていいのは自己責任が伴う。組織の中で自分を発揮するとは、自分の強みが何なのかを問い続け、目的に対して自分を発揮することが楽しさに変わると、組織に取っても必要な人になる。

顔色伺って応えてるうちは目的に向かっていない。目的をしっかりと見据え、目的を理解した人はパワーが違う。

評価をするは自分自身である。死ぬまで自問自答。問い続けることが成長である。本当にこれで良いのかどうか…?このままで良いのか…?

まず自分の目的を問いたい。
posted by メガネコーチ at 13:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月11日

選択の自由

マスクの着用について厚生労働省が5月末頃に提示した。
外で会話をしなければ着用しなくて良いと。

世界の国々はもうほとんど外している。韓国はまだかな…。

日本人は周りに迷惑をかけるのが悪いと言う教育が強い。
とても良いことと思う。
教養があり、社会はとても荒れずに住みやすい環境と思う。

しかし、この協調性がなんともサッカーにおいては難しい。
選ぶプレイがある中で、何か周りを気にしながら実行する選手が多く感じる。
それは自分もしかり、代表選手もしかり。

乱さないことが良いこと。

確かにゴールを取るという目的に向かうプレイはどれ?といえばある程度決まる。
しかし、相手もいることなので、そのプレイをより相手にとって困ることを実行したい。
それはミスのリスクもある。

そのミスがチームを大きく困らせる可能性もある。
そんな時は実行できない選手が多い。
世界は「目的のためには実行した方が良い」と言う考えが強いのかもしれない。
ミスのことより、実行するのが前提でうまくいくと目的に到達できると思うから何も気にならないのかもしれない。

だから、ミスのあとも当たり前のようにカバーして守備の目的に徹する。

つまり、目的がしっかりと合って、目的に向かう行動は認められると言うことなのかと思う。

そこで、先ほどのマスクの件に戻るが、日本人の生きる目的は何なのか?
そこが人によって違う。
それはそれで各々あって構わないが、幸せの形や、生きる意味なども周りに合わせているように感じる。

好きなように生きたらいいのに!
しかし、他人に迷惑をかけられない。
確かに迷惑は良くない。
ただ本当に迷惑なのか?
子供にモラルを求めることは良いが、まだ子供だ。
大人だってどうなのか?
利権を行使することはモラルとしてどうなのか?
世の中納得していることばかりか?

戦争だって簡単に起きてしまう世の中で生きなければならない。
自分で自分を守る力を持てば、ある程度生きていける。
もし、それで何かあって死を迎えてもそこまでの人生だったと思うしかない。

誰かのせいにしたって戻りはしない。
だから、今日、今死んでも幸せだったと言えるように生きなくてはならない。

やりたいことを出来ないで生きることが幸せなのか。
本当に何が一番大事なのかを考えて行動をとる。
そんなことを小さいうちから問いたい。

モラル、ルール、確かに大事。
それに捉われて生きることで苦しいのなら、少し緩めれば良い。

ほかに守らない人がいるのを妬むのは自分もそうしたいのに我慢しているように思う。
誰かを批判したり、妬んでも自分の幸せ度は上がるとは到底思えない。

そんな人もいるのかと自分に向き合い、その人を見て自分はどう生きるのかを決めれば良い。
あの人は、あいつは、など他人ばかり見てる場合ではない。

自分はどうなのか。
自分を磨こう。

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2022年05月06日

評価軸を自分で持とう


人と比べた人生は辛い
自分の幸せを決められないのは辛い

自分の意志を大切にして生きていきたい。

サッカーや、スポーツ、勝負の世界においても結果や評価が楽しいの軸なら諸刃の剣である。

それは、勝つまでのプロセスが楽しくない。勝てなくなったらつまらないから。

勝つまでの過程を楽しめると、勝てるか負けるかの勝負を楽しめるようになる。

それは、非認知能力を養い、自制心を養い、耐え抜く力を養うことになる。

その為には普段から自己解決能力を必要とする環境づくりや、メディアや大人たちの一方的な価値観の植え付けなどを考え直さないといけない。
これも日々の訓練であるから、大人たちの子供への携わり方で大きく変わると思う。

そのためには、まず保護者や僕ら自身が自分の軸をしっかりと持ちたい。

自分の意志は何なのか。
自分との対話でしか答えは出ない。

その自問自答は、他人とも対話出来る力を育む。
相手が子供でも、その価値観を認められる人でありたい。
posted by メガネコーチ at 14:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月15日

自己決定

物事には多面性がある。
善か悪かの二元論で見ると良くない。
見る角度を変えると見え方が違う。
裏と表があるのだから常に冷静に物事を見なくてはならない。

また、その多面を見た上で、どうするかを決めるのは自分である。
他人に委ねることは楽なのかもしれないが、それは自分の存在意義がなくなる。
世の中、学校、テレビ、親、友達など色々と色々な価値観の情報に溢れている。
その色々な世界で自分は何を大事にするのか、自分はどうするのか。
どう生きるのか、何を選択するのか。
どう死ぬのか。

自分が選んだことに違うと思い考えを改めることも問題ない。
世の中が生産性重視の流れにある中で、人生も無駄なく最短で生きなくてはならないと言う風潮に感じる。
今までは表だったと思ったが裏を学び自分の考えを改め、裏でも表でもない自分の考えがでてくるかもしれない。
それは決して無駄なことではない、無駄な時間でもない。
自分が考え続けていると言う過程は自分の新たな思考に必ず役に立つ。
自分で思考していないとメディアや世の中に進む道を決められてしまう。
知らない間に必死に働かされていく人生になる。
この人生が良いとか悪いとか言ってはいない。

自分でちゃんと選んで生きられたら良いよね!?
と投げかけている。

人生の正解はない。
幸せを感じるのは自分の物差し、他人や世の中が決めることではない。
マネー社会の資本主義に生きる以上お金の奴隷になっている人間だが、人間らしくいるための唯一の意志を大事にしたい。
「自己決定」

幼少期から自己決定能力を教育で付けさせないといけないと感じている。
自分で物事を判断していかないと自分の課題設定も出来ない。
学校、コーチ、親の言うことを文句も言わずに行う子はどうなっていくのか?
自己啓発の本も色々とあるが、僕ら指導者が今の子どもたちへの携わり方がとても大事になると思う。
礼儀の人間教育をうたう集団が多いが、もっと大事な人間の根本、意志を持たせられたら礼儀も自ずとついてくると思う。
自立をうたうなら信頼し、見守り、我慢する。
先々どうなってることをイメージしたい。
と言うが簡単なことではない…。
日々精進である。

posted by メガネコーチ at 09:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月12日

経験

経験:人間が外界との相互作用の過程を意識化し自分のものとすること。人間のあらゆる個人的・社会的実践を含むが、人間が外界を変革するとともに自己自身を変化させる活動が基本的なもの。(広辞苑引用)

補足
@外的あるいは内的な現実との直接的接触
A認識として未だに組織化されていない、事実の直接的把握
B何事かに直接ぶつかる場合、それが何らかの意味で自己を豊かにするという意味を含むこと
C何事かに直接ぶつかり、そこから技能・知識を得ること

経験となるのは、本人が意識して「事」を掴みに行った時に積むもの自分は思っている。
ある箱の中に入れとけば経験すると言うのは何か違和感を感じる。
箱の中を自ら認識して入っていることで箱の中に何も無くても、それを経験したことにはなる。
箱の中に何かあっても、自ら認識しなければ経験したことにはならないと考える。

しかし、認識したかどうかは人それぞれなので、いつ認識したかも分からない。
これが成長と捉える難しいときであると自分は思っている。

つまり、箱の中に入り続けることで、何かあるかないかを認識するまで待つことで、その時に初めて経験になる。
それが子供から大人になる時かもしれない。
それを自分も含めて指導者や教師、保護者、世の中は待てないのかもしれない。

経験をさせないとと言って色々と小さい頃から色々な箱に入れる。
自分も同じで、色々な箱を用意して、子供たちが自ら認識できるようにと工夫する。

まさに我慢である。
子供たちは認識する力が人それぞれなのである。
足が速い遅い、背が大きい小さいと同じで、認識ができるできないがある。

サッカーは出場人数が限られている。
そこに溢れたとしても悪いことではない。

箱の中を認識するまで慌てず待ち続けたいと思っている。

posted by メガネコーチ at 06:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする