2023年05月15日

Amazonより街の本屋で!

イチゴの数で我が家の家は喧嘩になる。

仲良く分け合うには…同じ数なら納得いく。
心に余裕があるのか、その時の感情次第では譲ることもある。

これが社会の原点と思うと面白い。

現代社会は資本主義によるマネーゲームが行われている。
お金を多く集められるかが大事なことのようになっている。
だからか、他より安く買う。高く買うと損した。安かったら得した。のように自分の損得が優先になる。

日本は人口減少により経済成長が難しい。
買う人が少なくなり、売るものが溢れる時代になっている。

お金の量は増えない。
お金持ちの人はお金が集まっているだけでお金の量は増えてはいない。

だから、イチゴと一緒で誰かが多くイチゴを手に入れていて、誰かがイチゴが無いと言うことである。

子どもたちは素直だから自分の利益を考える。
でも皆んな仲間だと分かると独り占めは良くないと分かる。

勝手に分け合うから素晴らしい。

誰かが独り占めのような事が起こると喧嘩になる。
戦争は良くない。
戦争が起こるのは誰かが何かを独り占めしているからなのか?
喧嘩も始めに手を出したのが悪いとは思うが、手を出さないと解決出来ないとなってしまった人の感情、背景をちゃんと見てあげないとならない。

イチゴの数を皆んなが見えると揉めない。
ある所に多く集まっていると違和感に感じるのではないだろうか。

日本と言う大きな単位で見ると街のお店も仲間だ。
グローバルが故に街のお店より安くはなるが儲かるのは外資系。

もっと大きく捉えたら地球人として考えると誰の物とか言う所有の概念が意味わからなくなる。

宇宙人から見ると
「イチゴ(お金、領土など)の数で争っているのか…地球人レベル低いな」
となる。

僕たち大人がもっと世の中を大きく捉えて構造に疑問を持ち次の世代に何か伝えていきたい。

助け合う社会をどう造るのか。

サッカーなどチームスポーツは社会性がある。
一人一人の価値観も違う。
しかし、仲間だと。
その仲間とともに幸せに向かうには損得勘定や一方的な価値観の押し付け、排除するようなこと、生産性・勝利至上主義などが強くあってはならない。

そんなチーム、社会を造る為に僕たち大人がまず変わらないといけないのかも…。

理想論…そうなんだよなぁ^^;
皆さんと考えたい
そんなコミュニティにしていきたい。
posted by メガネコーチ at 22:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月12日

命令よりも本質を伝えたい!

ドラえもんの映画を見て少し涙して、のび太くんに拍手を送り、この内容を小学生や幼稚園児が分かるのかはさておき久しぶりに良いなと思った。

皆んな仲良く、争いが無く、勉強も出来て、運動も出来て、仕事を皆んなが真面目にし、食に困らず、パーフェクトに生きると言う世界理想郷ユートピアに行き着き、シズカちゃん、ジャイアンやスネ夫の変化に違和感を覚えるのび太くん。

感情を支配しコントロールすると管理しやすく、大きな問題が起こらない世界の方が良いのか?と言う問い。

世の中には良いと言われるような情報が沢山ある。情報が有り過ぎて何を信じるのか。何を大事にするのかも各々に問われている。

先日、保護者からもっと試合中に声が出ると良いですね〜と言われた。
負けてるときなどに静かになる様子のことを指しているのかと思いつつ私は答えた。
では、皆さんも必ず声って出しますか?と。

もちろん声を出すことを否定してはいない。声を出して鼓舞することは大事と思う。歌を歌うと元気になるなど良いことは分かる。
しかし、声が出ない背景や個々の感情をこちらが勝手に決めるのはいかがなものなのか。「声を出せ!」などのように半ば強制的にもとめるのは違うと思ってしまう。
悔しくて黙るときもある。冷静に淡々とやり返そうと思っている時もあるだろう。
つまり、声を出すことが目的ではない。声を出すことが良いと言う価値観に危険を感じる。声を出すことが目的になり、どこか胡散臭い人をつくることがどうなのか。

自分は嘘くさいことが嫌いである。作られた良いこと、作られた幸せ。人生においての行動には人それぞれの価値観がある。常に自分で納得感を持って行動したい。ひとまずやってみよう!の精神も嫌いではない。伝えることは良いと思うが、選ばしたい。

なので、自分が声を出して鼓舞することはあるが選手に強要はしたくない。

選手が自分で良いと思うことを自ら選び、経験し、問いを重ねて、自分に納得感が出てくるまでのプロセスと形成される価値観がとても大事である。

のび太くんの違和感が今後の世界を救う。
子どもたちだけではないが、世の中に何を大事に生きるのかを問い続けていける組織、コミュニティを持ちたい。

さいたま市西区指扇にある、一(いち)サッカーチームがその場である。

皆んなで創っていきましょう
#烏天狗JrFC #烏天狗フットサルクラブ #さいたま市 #西区 #指扇 #滝沼川遊水池 #滝沼川 #小学生 #ジュニア #サッカーチーム
posted by メガネコーチ at 23:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月05日

転ばぬ先の杖

「勉強しろ」と私もついつい我が子に言ってしまう。
子どもはやりたくない。

まだまだ日本の仕組みが学力を持っている人が優位にいるからと伝えたところでイメージ出来ない。
本人は楽しくない。

これを自分に置き換えて考える。

将来に役に立つからこの本読んだ方がいいよ。
これでは自分は読まない。

健康に良いから身体動かした方がいいよ。
そりゃそうと思いながらも毎日は出来ない。

結局、自分が欲した時に向き合い取り組む。
サッカーを学びたいからサッカーについては勉強する。

そうなんだよな…。

学校、親たちは楽しくないことを無理強いさせて評価と言う日本教育の軸から離れないようにしている。

本当に勉強が大事な時はいつなのか?
偏差値60以上の高校に行った友達と、40くらいの友達に会っても彼らの人間性は互いに違い、社会の仕組みで働いていて不幸ではない。

微分積分はいつ使ったのか…。
高校の数学以外に見たことがない。

勉強を楽しんで取り組みさせる為に、勉強が楽しい背中、イメージ、勉強出来るとどんな未来が待っているのかを見せられるのかが大事な気がする。

サッカーも同じか
指導者、親たちがサッカーを見ないと子ども達も見ない。
指導者が学び続けないと選手に学べと言うのは筋違い。

この相手を倒したい!
倒すために手段を増やしたい!
だから、コーチ教えて!みたいな順序なのかと。

欲していない選手に何か学びを欲したいと思う環境設定が大事である。

転びまくった結果
転ばない方法は何だ?と欲した時に杖なのか…。

転んで大怪我したらどうしたら良いのですか!
死んでしまったら後悔するでしょ!

それは自分も辛いし嫌だ。
杖のタイミング…絶妙に差し伸べたい(^^)
posted by メガネコーチ at 06:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月24日

問題は起こるとまずい?

我が子が通う学校機関が小学校と中学校を一緒に考える一貫性を取り入れると決めた。
理由は中学校に上がった時に環境の変化による子どもの不登校を減らすためである。
6年生までは通えていた学校が中学1年生になると行けなくなる子が増えているとのこと。

なるほど。

また、ある小学校は授業の間の遊ぶ時間を無くした。それも余計なトラブルを回避するのも含まれているとのこと。

なるほど。

指導の現場でも何かあると保護者とのやり取りが多く、保護者が謝る。ん〜〜(^_^;)

毎度、言っていることになってしまうのだが、
子どもに、または相手にでも、
「どうなってもらいたいのか?」
を一番に考えなくてはならないと思っている。

問題に巻き込まれないように生きてもらいたいのか、問題を解決出来るように生きてもらいたいのか。

多様性とあちこちで言われる世の中になり、
その多様性と、どのように共同生活していくのかを練習していく場が学校教育なのでは?と私は思ってしまう。

自分との価値観に合わない子を排除して、パワーある人に従い、気を遣って、問題を起こさないように生活して、本当に自分が大事にしたい価値観も自分で決められず、他人の目(問題にならない)を気にして自分と言う価値観を形成していく。本当にそれで良いのか?

自分の意見を持てと言う教育が、自分の意見を強く持つ子を問題児扱いする。過去にも偉大なるリーダーはマイノリティである。

マスク着用の定義(厚生労働省)が変わってもマスクを外せない世の中。自分で判断することを奪う世の中。その判断、実行を認めず批判の多い世の中。

何が大事かを問うことより、多数派と違うことをすることが問題になる。だから、多数派に従う的な思考が強いのではと思ってしまう。

どの親も、我が子には何があっても自分で解決できる強い人間になってもらいたいのではないだろうか?

強い人間の定義もまた人それぞれだが、今あなたが差し伸ばしてる手助けは子どもを自分で思う強い人間にさせる手助けなのか?と問い続けているだろうか。

小学生や中学生の問題と言われることは、社会に出た時の問題と比べたらどれほどの問題なのか?大した問題では無いと思う。

小さい時から問題に対してどう向き合っていくのかと親子で考えることが良いのではないだろうか。

家族同士でも完全に同じ価値観にならない。他者と対話して、自分と考えが違うことを知り、認め、そして自分はどう考えを持つのかをまとめていくのが成長だと私は思っている。

問題…?トラブル…?

何を問題と捉えるのか?から考えたい。
posted by メガネコーチ at 06:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月13日

認知はサッカーだけでない

誰かに迷惑をかけることは駄目と言う風潮が強すぎる日本
迷惑をかけることは大したことではない
お互い様である。

自分のことは二の次だと判断や決断するのが難しい。

今の子は皆んな良い意味でも悪い意味でも余計なことをしない世間の言う良い子が多い。

先生や大人が言ったことを聞くし守る。
ここで思うのだが、子どもは本当に納得して行動に移っているのかどうか。

常になぜ?どうして?が入っているのか?
お母さんが駄目って言うから…。
先生が良いよって言ったから…。

確認や許可を取ることが悪いと言ってるわけではない。
しかし、自分で考え、どう思うのかをひとまず出した結果に対して聞いたり確認するのが本質かと。

全ての行動が確認ベースだと臨機応変の判断が出来ない。
これはどうしたら良いですか?これは?こんな時は?など無限にでる。

では、それを解決するのは何か。
まず自分で考えることがベース。
自分で納得感を持てたときに出来るのではないだろうか。
それは「理解している」とも取れるが、結局どうなっていたら良いのかを考えられていると行動に軸が出来る。

最悪なことはコレで、そうならなければある意味何とかなると言う、最悪の状況、事を理解するのも良いかと。

そのギリギリの曖昧な状況をどれだけ小さいうちから判断してきたのかが人生においても幸せに近くなると私は考える。

大人になるにつれて納得いかないことが増えて世の中に疑問符がいっぱい出る。しかし、ルールだから、規律、モラルなど自分で納得したわけではない事が決められた世の中で窮屈そうに生きる。

その思考でいくと、世の中のせい、社会のせい、誰かのせいにしていく。
ルールだから、先生が言ったから、お母さんが言ったから、あいつがどうだから、など自分の考えや自分の行動が次に来てしまう。

結局全て自分が行動に移していると言う「自分が主語主体である」ということを見えなくなっている。

それはとても不幸な気がしている。
サッカーもそうだが、結局自分でプレイを決めなくてはならない。
その決断を楽しめる人間になってもらいたい。
その為にサッカーだけで認知、認知と言われるだけでなく、世の中をどう認知するのかを生活習慣にしてもらいたい。

コロナ禍になり早3年が経った
子どもが認知して納得感を持って行動を取っているのだろうか…。

常に世界を大きく捉えたい。
posted by メガネコーチ at 15:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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