2022年02月04日

自分以外を認める。レッテルを貼らない。

先週、娘とサンリオピューロランドに行ってきた。そこで、一人で来てる男達を見かけた。
人間は何を好きでも否定されることはないはずである。
しかし、いわゆる一般的やら、普通と言われるような人間は枠からはみ出ない。
これは良くも悪くも日本社会が作ってきた産物である。
若かれし時は自分も人と違う価値観や行動に「キモイ、痛い」など言ってた覚えがある。
しかし、大人になり感じるのは人それぞれ違うと言うこと。価値観も違うと言うこと。
この色々な価値観と言われる範囲が狭いから少人数だと痛いと言われる所以だと思った。
サッカーにおいても個性があまり無く、みんな似てきていて、個性を出しづらいのか全面に出せる選手がいない。これは僕ら指導者のせいでもあり、世の中社会のせいでもあると思う。
「人と違ってそれでいい」「オンリーワン」「個性を大事に」など、言ってるわりには、空気を読めとか、目立たないようになど、周りの目ばかり気にするような行動を求めがちである。
結果何が起きてるのかと思うと、自分の意見を出しづらい世の中になり、自分の意見を持つために考えるのもアホくさくなり、全ての行動を社会や力を持つ親の言うことを聞くことになる。それが今の世の中を作り上げた結果、何か問題あれば行政のせいにして、政治家も問題に声を上げてる人の意見を支持率の為に聞く。
選挙期間に若い子の選挙率が低いとか、何か求めるのであれば、子供の時から自分で考えさせる訓練をして、意見を持たせて、出来たらディベートしたり、対話して、自分で考えさせる機会をもっと持たせないと何が良くて何が良くないのか、何が好きで何が嫌いなのか、その自分では合わないものを排除するのではなく、合わないものは自分と違うと認め、でも社会は一緒に動くのだから共存できるように自分はどう行動取るのかを問い続けたら、世間の目を気にする人生と自分がやりたいことを思い切ってやる人生のどちらが幸せか一目瞭然である。
そうは言っても日本人は協調性があるから社会が上手く回っていることもあるのでワザワザはみ出す必要もないが、子供の頃に世の中には色々な人がいることを教えて、感じさせて、親の意見を言う前に、「あなたはどう感じる?」と考えさせるきっかけを問い続けたらジェンダーやLGBTのことについても当たり前と思えるようになっていくのでないかと思う。
子供は保護者の思考や行動を一番近くで見ている。あなた達の価値観が人生の正解でもないとするなら、「人生とは?生きるとは?」と小さいうちから一緒に考えることが自立していくことなのではないかと感じた1日であった。

テレビから一方通行の情報が全ての価値観や考え方なのか?コーチが言ってることが全て正解なのか?親の言うことが全て正解なのか?そんなことに疑問を持てる選手が未来に必要と考える。言うことを聞かせるのでなく、どう一緒に考えるのかをもっと大事にしたい
posted by メガネコーチ at 23:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月19日

幸せのカテゴリー

背伸びは時として行うといいが、背伸びし続けると疲れるよ!

毎度の前提であるが、
誰のために生きてるのか。
誰のためにスポーツをするのか。
誰のためにサッカーをしているのか。

結果はあくまでその瞬間の結果でしかない。
相手が優れていて、自分は劣っていたというだけ。
親やコーチのエゴでの結果は何にも意味をなさない。
勝った、負けたの結果を経て自分はどうなりたいのかを問い続けるだけ。

烏天狗は学年でチームを分けない時がある。
その時に選手に獲得してほしいことから逆算しての環境づくりに心がけている。
年下とも試合をする。
「自分の学年」に固執した考えが間違っていると思う。
自分の出来るスピード感で行うことで得れることがめちゃくちゃ多い。
背伸びした環境も時に必要とも思うが背伸びし続けると必死になっているだけで終わってしないか?と問いたい選手がいる。
サッカーは頑張るももちろん必要。
ただ、頑張ることが目的になり、何を頑張ったら良いのかを整理してもらっているかな?
整理したことを確認するには自分の出来るスピード感が一番分かりやすい。

インプットしてアウトプットしたいからである。
そのためには年齢、学年は関係ない。
スピード感が遅くともアウトプット出来ることが確認取れたら、あとは自分でそのスピードを上げていけばいい。
何を頑張れば良いのかわかった時、人は夢中になる。

小学生の時は特にやらないといけない時期と考える。
しっかりとインプットとアウトプットを繰り返し行って成長していこう。
A、Bとかトップチームとか意識して負けたくない!と思うのは大事。
しかし、今のカテゴリーだからダメと言うことではない。
そもそもスポーツはゲーム性を楽しむために行なっているのだから。
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2021年12月19日

素直

人生は素直に生きると面白い。
と言うのは、世の中のことを全て常に疑うことからはじめる。
世の中のことすべてに理由がある。
その理由を理解しないまま生きることは面白くない。
何でこんな形になったのだろうか。
何でこんなシステムになったのだろうか。
何で人はこれが良いと言うのだろうか。
その思考が本当にこれが良いのかどうかを問い続けることになり、新たな物や発想、手段が変化したり増えたり減ったりする。

サッカーも同じ、サッカーと言うゲームなのだから自分で勝ちに向かう方法を探ることが大前提である。勝つ確率が高くなるものを選んでいく。サッカーのすべてのプレイ、手段に納得をしながら出来るかどうか。それはチームの約束を守ることと言うことではない。たとえチームの約束があったとしてもその手段に納得がいかないのであれば納得いくまで考えることが大事である。

この納得だが、子供だけではないかもしれないが、社会の大人も上司に言われたことを納得しないと出来ないこともある。
しかし、先輩、先生、指導者、経験値などが高い人の話しは一度聞くことが素直だと思っている。一度聞いて、一度試してみて、それでどうなのかを判断することが素直であると。
はい!と答えて、ただ実行するのは素直とは言わない気がする。
それは単なるイエスマン。

素直になれ!の素直の意味合いが、言うことをきかせるイエスマンが素直と思っている人もいる。
イエスマンにさせない為には、一度試させる(失敗を許す)こちらの我慢が必要である。

こちらの器が子や下のものに出るのではないかと思っている。

常に思考する人間を育てたいと強く思う。
posted by メガネコーチ at 06:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月29日

サッカーは続く

年末になり、どのカテゴリーも全国大会予選など大一番が繰り広げられている。
勝った選手と負けた選手の違いって何か?

自分は何も変わらないと思っている。
現時点でチームの勝敗がついただけで、次の日にはその結果は過去となり、また試合をする時に勝敗をかけてたたかうだけ。
その戦いは辞めない限り続くと思っている。
もちろんカテゴリーによって中々できなくなる。
歳が上がるにつれて狭い世界になる。
ジュニア、ジュニアユース、ユースの時の結果に一喜一憂する必要はない。
それこそ高校選手権を取ったってプロになれる訳でもない。
またプロになったからサッカー人生安泰でもない。
サッカーが好き、サッカーは楽しい、それだけ。

つまり、人生の1つにサッカーと言う時間があり、その時間をどう活かしてどう生きていくのかが大事である。
サッカーは楽しいゲームである。
辞められないゲームである。
強制、強要されて行うことではない。

結果が出るから楽しいとなると結果が出ない時に辞めてしまう。
結果が価値となると、結果に対して全て誰かのせい、環境のせいにしてしまう。
今の結果を踏まえて、自分はどうなりたいのかを問うことが本当の楽しいに繋がるのではないだろうか。
自分を磨くプロセス(過程)が楽しい。
人生は死ぬまで自分を磨くこと。

しかし、磨いた結果が目的になりすぎると意味などを考えだす。
その時間が無駄だったのではないかと。
となると、人生そのものの意味すら考えなくてはならない。
それがまさに道であると自分は思う。

人は何のために生きているのか。
長生きが目的なのか。金持ちが目的なのか。
サッカーで結果を出すことが目的なのか。
幸せって何なのか。

コロナ禍により、全員マスクして、黙食を強いられ、ワクチンパスポートまで持たされ、みんな右向け右の社会になりつつ、何で人は生きているのか。
サッカーは手段を習い、自分で選べるスポーツ。
自分で選ぶから楽しい。

今の世の中が選べない世界になっている。
いや、選べるはずなのに、選ぶことを悪としている教育や環境がある。
知識が大量に入ることから、その知識をどう使うのかが問われるはずなのに使い方さえも強いられる。

幸せを自分で探して、自分が選べる時こそ「生きている」と自分は思う。
サッカーを通じて人生をも語りたい。
posted by メガネコーチ at 13:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月15日

サッカーはゲーム

ついニヤけてしまう選手がいる
その選手は試合をとても楽しんでいる。
終わったらいつも汗だくで息を切らしている。

後ろのポジションの時は必死に守り仲間のカバーリングや相手のシュートをブロックしたり、スライディングしたりとこちらが伝えなくても勝手に行う。
転ばされてもすぐに立ち上がりボールを追いかける。

前のポジションの時は前線で裏取りし、相手ボールならチェイシングする。
シュートを外せば「あー!」と言って悔しがる。
それでまたボールを要求する。

「無我夢中」

彼は指導者や親のためにプレーをしていない。
評価を求めてもいない。
僕ら指導者が伝えたことは全て手段であって目的ではない。
サッカーは相手より1点多く取ったら勝ちになる。
それを彼は遂行している。

相手を観てパス、ドリブル、の判断をする。
観れてない時のゴール前はクリアをもする。(ボールを捨てるようなことはミスとされる日本)
点を取られたくはない!の気持ちが彼を動かす。
もちろん観れた時は繋ぐ、それも点を取る為の手段だから。

彼に気付かされたのは試合は彼らのものである。
練習で獲得したものは全て手段である。
その手段の何を選ぶのも彼らのもの。
彼らが選べるようにするのが練習と僕ら指導者。

評価を目的とする選手はどこか言い訳やカッコつけたりする。
倒されてファールがあったと自分で宥めゆっくり立つ(ファールではない)
ゲーム性を理解していれば勝手に次のプレーに向かう。
そのゲームを勝ちたいからすぐに起き上がる、走り続ける。
点を決めたいから裏に走り要求する。
「裏に走れ!」と言われることではない。

そんなサッカー少年がいることに感謝している。
そんなサッカー少年が少なくなっているように感じるのは僕達が原因かもしれない。
彼らへのアプローチはいつしか評価や、失敗を怖がる選手になっているかもしれない。
保護者も家庭で子供たちに選ばせる機会を増やして、失敗を沢山させて、見守ってあげて欲しい。
決断できる子供を多く育てたいと改めて強く思った。
posted by メガネコーチ at 09:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする