サッカーは「勝ちたい」「負けたくない」があれば自ずと変化があると思っている。
ただ、それは根底の部分であって「出来ない」「分からない」がそのうち出でくる。
ただ、それは根底の部分であって「出来ない」「分からない」がそのうち出でくる。
そこで自分で考えることが前提にないと駄目なのだが、手段を習うことでやはり勝てるイメージが湧く。
手段はあくまで1つの手段なので、どう使うかは自分である。
手段を目的にするとサッカーから外れる。
それこそ根底の意志はどこへ行ったのか?と。
手段を求めることで意志が無くなると思っていたが、それはこちらのアプローチやチームの空気かと思ってきた。
根底の意志で各々がプレーすることで勝てる時もあるが、中々勝率が上がらない。
勝率を上げるためにチームとしての手段を共有する。
だが、チームの手段が目的になると弱い。
ここが難しいところである。
チームの手段と自分の意志は常に並行して行わなければならない。
日本人はやはり良くも悪くもの協調性がある。
だが、幼少期は皆意志だけの固まりだ。
それを世の中が削いでいるとは思うが、サッカーだけはそうならないように指導していきたい。
自由になんでも良いと言うことでもないし、規律だけの堅苦しいのも違う。
チームフィロソフィーと最近言われることは自分の発する空気なのかもしれない。