2020年12月25日

意志があるなら目的を間違えない

サッカーは「勝ちたい」「負けたくない」があれば自ずと変化があると思っている。
ただ、それは根底の部分であって「出来ない」「分からない」がそのうち出でくる。

そこで自分で考えることが前提にないと駄目なのだが、手段を習うことでやはり勝てるイメージが湧く。

手段はあくまで1つの手段なので、どう使うかは自分である。
手段を目的にするとサッカーから外れる。
それこそ根底の意志はどこへ行ったのか?と。

手段を求めることで意志が無くなると思っていたが、それはこちらのアプローチやチームの空気かと思ってきた。
根底の意志で各々がプレーすることで勝てる時もあるが、中々勝率が上がらない。
勝率を上げるためにチームとしての手段を共有する。

だが、チームの手段が目的になると弱い。
ここが難しいところである。

チームの手段と自分の意志は常に並行して行わなければならない。
日本人はやはり良くも悪くもの協調性がある。

だが、幼少期は皆意志だけの固まりだ。
それを世の中が削いでいるとは思うが、サッカーだけはそうならないように指導していきたい。

自由になんでも良いと言うことでもないし、規律だけの堅苦しいのも違う。
チームフィロソフィーと最近言われることは自分の発する空気なのかもしれない。
posted by メガネコーチ at 20:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月24日

組織の役割

組織、企業、オーナーは目標を掲げる。
そこに雇われる個人がいる。

その個人にも各々の目標がある。
その個人は自分では味わえない環境を用意される。
その個人は自分が知らない知識、技量を受け取る。

個人の成長は自分次第。
オーナーは個人の成長の先の世界をイメージさせられるのかが大事
個人の成長の為の環境や壁を用意してあげられるのかが大事。

そして自問自答するようにアプローチ。

壁が高すぎると越えたいと思う者もいない。
その加減が難しい。

各々に用意してあげたいが組織の目標は高い。
posted by メガネコーチ at 23:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月12日

サッカーは将棋に似ている

将棋は相手の出方次第で打ち方が変わる。
もちろん、自分のやりたい手も遂行しながらではあるが、相手によって少し変化する。

そこで、持ち駒の話しだが、飛車角をいっぱい持っていれば確かに強いが、それは試合として面白くない。
相手と同じ戦力でどう戦うのか。
または、同じくらいの戦力でどう戦うのか。
金銀や桂馬や香車、歩をどう活かすかで内容が変わる。

サッカーも11人が各々の役割があって、どう自分を活かすのかが鍵になる。
能力的には桂馬や香車、歩でも将棋のように「効いてますね」と言う選手が重要である。

将棋も最後の王を取る目的の為に一手一手を考える。
サッカーも同じで得点を上げる為に、どう選択していくのかを考えるのである。

プロの映像でゴールシーンのハイライトは飛車角の選手によるものが多い。
ハイライトを見ないより見た方がイメージには良いが、やはりフル試合を通してのイメージが重要である。
サッカーは90分の間お互いに争っているストーリーを楽しむものだと思う。

1人の選手をドリブルで抜いたことも注目だが、その選択がどう活きるのかを見れないと、単なる自己満のドリブルになってしまう。

どの一手が有効なのか、一手の先には相手が色々といる限り永遠に答えがない。だから追求するのだと思う。

子供達もその一手一手を楽しめるような思考にしたい。
posted by メガネコーチ at 08:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月22日

自分と向き合う

活動自粛期間に料理を1度作ってみようと思った。
いつもは全く包丁など握らない自分が何か作ってみようと思った。
カルボーナーラを作ってみよう。
しかし、麺を茹でる以外に何からやっていいか分からない。
イメージもないからクックパッドで検索。
凄い時代だ、検索ヒット数がめちゃくちゃある。
1つを選び事を進めたら、見栄えはさておき意外と美味しく出来た
やはり、大人も少し上手くいくと面白い。
1ヶ月後にもう一度作ってみた。
やはり前回より見栄えも気にしたが、前回と大差ない。

では、ここで基礎が大事と言われ、包丁の使い方を細かく指導され、玉ねぎの切り方から始めるまでにはいかない。
自分がそこを欲してないからかと思った。

商品として売る為には安定した味付け、見栄えが大事だよ…それも分かるが目指していない。

では、メガネさんはいつ本気で調理に向き合うのか…。
やはり、自分がなりたい!と思った時しかない。

子供も同じで、もちろん嫌でも勉強の基礎は叩き込んだ方が良いかとも思う中で、常に大人は向き合う為の未来像を描かせないといけないのかと思う。

強要ではなく、自分で選んでいく為の欲。
大志を抱かせる為に大人が待つ。

小学校に入ると、勉強勉強で中々余裕がなくなる。
待てる環境と見守る覚悟を大人も試されている。

もちろん、メガネさんはその時以来台所に立っていない…笑
posted by メガネコーチ at 03:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月25日

人生己を磨き続けるのみ

人は必ず死ぬ。
死ぬのだから終わりがある。
時間も限りがある。
その限られた中でどう生きるのか、どう死ぬのか。
その限りもいつ訪れるか分からない。
いつか分からない中で生きていく。
意味の無い時間などない。

では、なぜ限られた時間の中でサッカーを選ぶのか。
サッカーをしている子供から大人まででプロになれるのはわずかである。
プロになれないのになぜサッカーを続けるのか。
プロになれないなら時間の無駄、レギュラーになれないから辞める。
そんなことなのか。

子供は難しい時期を過ごしているとも思う。
学校での勉強は「やりたい」意志を度外視して進んでいく。
勉を強いることでいっぱいになる。

昔とは違い時代も大きく変わってきている。
仕事や働くこと、生きていく方法も変わってきている。
人間ならではの意志を持つことがより重要な気がしている。

そんな中で子供たちはサッカーを選んだ。
自分で選んだのだから続けて欲しい。
確かに嫌なら辞めるのも大事だし、もったいないとか、ここまで続けてきたのだからと言う理由でやるのもおかしい。
ただ、グランドにきているのなら本気になって欲しい。
誰かに勝つ為と言うと負け続けたり、勝ち続けると飽きてしまう。

本当に大事なのは、毎度言っているが自分がどうなりたいのか。

それがあれば、手を抜いていることなどありえない。
そんな時間こそもったいない。
自分の目標、自分の生き様をイメージしたら自分の行動が導かれるはず。
そんな子供たちの人生のお手伝いをできたらと思っている。

自分ができることは、自分が好きなサッカーを好きさを表現すること。
サッカーを好きで楽しいと思っていることは、
将棋や囲碁のように相手の様子を見て動きを決めていくこと。
団体であるが故の自分の役割や特徴、良さをだせること。
社会性が必要になり、仲間や相手を尊重すること。
小さい子から老人まで同じ場所で出来ること。
そして時に緊迫感のある試合があること。

そんなことを伝えていけたらと思っている。
posted by メガネコーチ at 17:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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