先日、以前にスクール補佐アルバイトをしていた子と飲んだ。
彼は大学生の時にアルバイトとして一緒に働き時を過ごした。
今は28歳2児の父である。
彼と昔話しをしながら自分のことを振り返る。
大きくは変わっていない。
当時から捉われるなと言っていた。
正解とする物事や思考も疑えと。
自分に一度落とし込み納得して自分のものにしろと。
コレでないといけないと言うことは絶対にない。
そんなことを日々言っていた。
サッカーはボールを持っている人が全ての実行を決められる。
その自分で決める実行がチームの勝敗を左右する。
何を選び実行するかを自分で選べるのだが、何をやっても良いのだが、チームの勝敗に向かっての実行であるかが大事である。
このチームの勝敗に向かうと言うのが重く責任が問われていく。
この責任を背を得ないとプレーが消極的になる。
消極的なプレーはチームを良くしない。
つまり必要な選手にはならない。
だから、普段の練習だけでなく、自分の全ての行動に責任を持ち自分で実行することを求める。
自分で実行することが多くなれば、実行することに自信が出てくる。
日々の生活を大事にしたい。
そんなことをサッカーを通して自分は伝えてきている。
そんな中からサッカーでは大成しなくても、人として大成してくれれば何より。
また、大成と言うのも世の中の評価ではなく、自分の物差しで測る幸せを求めて欲しい。
今の世の中はお金がないと生きていけないのも事実であるが、お金の為に生きるのは少し違うような気がしている。
お金はあくまで物を交換するツールである。
お金は必要ではあるが、お金の為に働き生きるとなると、なぜ人間は生まれ生きているのか分からない。
生き方に正解がない。捉われないで自分の人生を考えてもらいたい。
常に自問自答し自分で考え自分で実行していくと生きている実感がわく。
それは自分で決めたからである。
コーチが言ったことを守ることの中には自分で納得して行動をとっていると言うことである。
世の中や誰かのセイにするのなら、自分で一度考えて行動をとって欲しい。
自分の行動は自分のセイである。
その為に情報だけに捉われない生き方をしたい。