2020年08月27日

捉われない

先日、以前にスクール補佐アルバイトをしていた子と飲んだ。
彼は大学生の時にアルバイトとして一緒に働き時を過ごした。
今は28歳2児の父である。

彼と昔話しをしながら自分のことを振り返る。
大きくは変わっていない。

当時から捉われるなと言っていた。
正解とする物事や思考も疑えと。
自分に一度落とし込み納得して自分のものにしろと。
コレでないといけないと言うことは絶対にない。
そんなことを日々言っていた。

サッカーはボールを持っている人が全ての実行を決められる。
その自分で決める実行がチームの勝敗を左右する。
何を選び実行するかを自分で選べるのだが、何をやっても良いのだが、チームの勝敗に向かっての実行であるかが大事である。

このチームの勝敗に向かうと言うのが重く責任が問われていく。
この責任を背を得ないとプレーが消極的になる。
消極的なプレーはチームを良くしない。
つまり必要な選手にはならない。

だから、普段の練習だけでなく、自分の全ての行動に責任を持ち自分で実行することを求める。
自分で実行することが多くなれば、実行することに自信が出てくる。
日々の生活を大事にしたい。

そんなことをサッカーを通して自分は伝えてきている。
そんな中からサッカーでは大成しなくても、人として大成してくれれば何より。
また、大成と言うのも世の中の評価ではなく、自分の物差しで測る幸せを求めて欲しい。

今の世の中はお金がないと生きていけないのも事実であるが、お金の為に生きるのは少し違うような気がしている。
お金はあくまで物を交換するツールである。
お金は必要ではあるが、お金の為に働き生きるとなると、なぜ人間は生まれ生きているのか分からない。
生き方に正解がない。捉われないで自分の人生を考えてもらいたい。
常に自問自答し自分で考え自分で実行していくと生きている実感がわく。
それは自分で決めたからである。

コーチが言ったことを守ることの中には自分で納得して行動をとっていると言うことである。
世の中や誰かのセイにするのなら、自分で一度考えて行動をとって欲しい。
自分の行動は自分のセイである。
その為に情報だけに捉われない生き方をしたい。
posted by メガネコーチ at 11:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月23日

学びを求めて

我が子を見て毎日宿題の多さに可哀想に思う。
学校も休校期間が長かったのもあるが課題を出す。
この課題は子供がどこまで望んでいるのか?気になる。
課題を欲している子供がいたら教えて欲しいし、表彰ものだろう。

赤ちゃんから始まり、言葉を覚え喋れるようになることが楽しかった幼児。
その頃は学ぶことに飢えていた。学習は学びを習う。
小学校に上がり楽しかった学びが、少しづつ嫌いになる。
「勉強しなさい」
勉強は勉める(つとめる)を強いる(しいる)と書く。
まさにこれだ。嫌でも楽しくなくても、勉めることを、我慢して行う続ける=強いるのである。
このようなマインドから子供達の楽しい発想や意志が削がれていく気がする。

そんなマインドの子と一緒にサッカーをやると楽しくない。
それは彼も楽しそうではないから。
サッカーや遊びには意志がある。
だから躍動する。自分で動く、自分で考える、自分が決断する。
だから楽しい。

サッカーも勉めてはいないだろうか。
サッカーも強いられていないだろうか。

学びの本当の楽しさを教えてくれる先生がどれくらいいるだろうか。
勉強に追われないよう見守れる家庭がどれくらいあるだろうか。
国がそうしていることは分かってきているはず。

未来の子供のためにも、生産性重視の価値観を削ぎ、人間の生きる意味を考えさせるようにみんなも子に接すれば、未来は明るいし、未来は変わると信じている。
posted by メガネコーチ at 00:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月10日

余白は自分が好きな様に使いたい

久しぶりの投稿である。
この先どんな世の中になるのだろうか…。
世の中に絶対は無いと言うがひとつだけあると自分は思う。
人は必ず死ぬ。
それは変えられない。死を恐れるのではなく、死に対してどう向き合うか。
自分はどのように死んでいくのかを考える。
魂は継ぐのかもしれないが、今の自分が記憶する自分は1度しかないと思う。
今日死んでも人生良かったと思えるように生きたい。

前置きはさて置き、今回の自粛期間に色々と自分や我が子含め考えされられた。
スクール生などの話しを聞いても思うことは、皆受動的に生きている。
学校がなくなり、勉強をする機会が減り、家で過ごす。
勉強しかり、TVゲームしかり、やりたい事がありすぎて時間があってよかったと言う子はまずいないだろう。
自分や大人もそうで、時間があるから暇つぶしに何かやる。
日々何かに追われて生活を行っていて気づかなかったことが見えてきた。

本当にやりたい事を自分で見つけること。
これを子供のうちから考える癖をつけさせたいと思った。

我が子が言う。
「暇〜」「何したらいいの?ゲームやっていい?」
もしかしたらゲームだけでも良いのかもしれないが、とにかくほっとくこと。
1週間に習い事を入れると、全てが受け身の状態で頭が動く。
色々と経験させることは良いとも思うが、どこか全く何も無い日、無い時間があることも大事なのかと思う。

サッカーで近年岡ちゃんメソッドはじめプレイモデルと言う言葉が出てきた。
自分も賛成派ではあるが、あれは当たり前の原則である。
要は子供に、いや受け取る側のスタンス次第であるってこと。

あのモデル原則を理解する上で、自分の本来のサッカーが楽しい意志を乗っけること。
これは自己満プレーとは違くて、原則に乗っとての意志である。
この意味合いを理解できないと決められたことが多くてつまらない。
または、モデルを与えられら、その次の意志までこちらにモデルを作ってもらおうとする。

自分で生み出す作業をしてこないとコレが起こる。
生み出せない選手にやはり待つ以外解決は無いのかもしれない。
この待つが育成年代で変化できない子達が原則も無いよねと言われ、プレイモデルが必要と言われている気がする。

指導者、コーチが色々と教えてあげて全然良いと思う。
それはノートのメインであって、ノートの余白に遊びの落書きが子供達を成長させるのかとも思った。

大人が余白まで埋める必要が無いし、余白があって自由に使えることも理解させる必要があると強く思った。

posted by メガネコーチ at 22:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月09日

らしさはいつ出てくるのだろう

スクールやジュニアユースを指導する中で選手の良さを発揮させようと常に考える。
選手の良さとは自分の意志であると自分は思う。
意志を持てと選手に説いてきた。意志は持てたが発揮するのには人それぞれまた勝手が違う。

「日本人は」と日本を大きくまとめるのは良くないが、少なくとも自分が今まで見てきた選手の中ではほぼそうであるから言わせて頂くと、みんな気を使う子どもである。
日本は協調性が豊かで自分勝手な人が少ない。
自分勝手だと周りから変人扱いされて今やネットで叩かれる。

サッカーの中でもメンバーによって気を使う。
少しでも力を持った選手がいると自分を出せない。
これはサッカーだけではなく生活習慣の中でも往々にしてある。
高校、大学と友達が変わると自分が居やすいメンバーを見つけるのに時間がかかる。
大人達もそうであろう。
類は友を呼ぶではないが、人は同じ価値観でいるのが居やすいのである。
自分もそうだ。これは悪いことではない。

しかし、サッカーは違う。
学校のクラスに似ていて好きも嫌いも、合う合わないも共存している。
そんな中でサッカーと言うゲームを行い、そんな中でチームとして勝利を目指す。

子ども達には簡単に逃げないで欲しいと言いたい。
また保護者にも試合に出れる出れないで子どもを計らないで欲しい。
サッカーは社会性を学べる最高の場であると思う。
これから大人になるにあたり社会に出たときに自分は何が出来るのか、何でこの社会を生きていくのか、何がしたいのかを探しつつ生きなければならない。
環境を変えるのも一つだが、大きな組織に入ればどこも同じ個々の共存社会がある。
簡単に環境のせいにしないで欲しい。
確かに自分を出せないと楽しくなかったり、キャラもいつもと違う可能性もあるから疲れる。
しかし、その環境に自分をどう適応させれるかが今後の人生にも大きく影響するかもしれない。

確かに今の時代はネットで同じ価値観を探しやすい環境にある。
オンライサロンなども良い例だ。
今後の社会の変化はどうなるか分からないが、サッカーだけは変わらない。
ましてや同じ地域でしか活動出来ない小学生、中学生は特にである。
サッカーだけではないが、集団スポーツを通して成長してもらいたい。
早く自分の意志、自分らしさを出せるようになって欲しい。
それを出せる環境、出せる空気感(安心)をいかに用意できるかが僕らの役目なのかもしれない…。
一緒に頑張って行こう。
posted by メガネコーチ at 23:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月15日

自分に落とし込んでいる

小学1年から見ている選手に変化を感じている。
その子は何事にも真面目に取り組める。
少し大人びているところもあり率先して行動も出来る。
学校でも周りを見て行動を取れているだろうと思う。

失敗の数も少ない。器用なこともあり色々と出来る。
運動神経が良いこともある。
そんな彼は出来る自分にもプライドがあると思う。
試合中に取られないように身体を張ってキープしたり、突破する。

そのプレーに最近変化が見られる。
それはこちらの主観だとも思うが、その変化は間違いないと思っている。

例えばサッカーのゲーム中。
以前はボールを取られないように相手とボールの間に入って絶対に取られないようなプレーをしていた。
それがボールを相手が見える位置に置いて足を出すのを誘うようになった。
またはキープより進む回数が増えた。

これを上手くなっていると言うのも間違いないのだが、自分は本人が自分に落とし込んでいるところと表現したい。
その子は試合に負けても悔しいのだが、出来ない自分を受け入れて出来る自分の映像をイメージしているように思う。
前は負けたら嫌だからガムシャラにやる。全力。踏ん張る。
必死に戦っても勝てない。身体が大きい相手、早い相手は頑張っても勝てない。
では…。
一度一歩引いて考えよう。一歩引いて見てみよう。
こうなる思考が大事で、その思考から実践する心も大事である。

これはチャレンジと簡単に言うのとは違うと思っている。
自分も「失敗していいから」と良く使う。
しかし、失敗の中身は自分で考えたことに限ると思う。

コーチが言ったことに納得しないでやるプレーは想いがないから失敗の可能性は高い。
自分に落とし込んでからやるチャレンジは全然意味が違う。

だから、サッカーはまず意志が一番だとつくづく言いたい。
「チームが勝つために自分はこれが良いと思う!」と強く言える選手。
そう言えるように日々、「指導者と共に」思考している感覚が大事かなと。
posted by メガネコーチ at 03:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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